イタリアの厨房から考える日本の将来
イタリアを始め地中海のレストランの特徴/日本との違い
私の数少ない経験ですが、イタリア、特に南イタリアや地中海の国のレストランで特徴的なことはなんでしょうか?
それはオープンキッチンが極端に少ないということです。皆無です。理由は、 厨房などと切り離して静かに食事を楽しんでもらいたいからだと思っていました。すし屋にカウンター席があって、元来キッチンをエンターテイメントとする日本とは違うのかなと思っていました。また、 オープンキッチンなどが流行る前からの古いレストランも多いことも原因かも知れないとも思っていました。
長期間滞在すると真実が分かる
ところが、お上りさんの海外で舞い上がる期間を過ぎて、何度もレストランを利用すると、違う局面が見えてきます。それは目が肥えて真実が見えてくるようなことではなく、ある現場を目にする機会に出会うことが増えてくるからです。その機会とは厨房からの従業員の出入りを見る機会です。
南イタリアなんかの美しい歩道などにオープンテラスを持っている美しいレストランの厨房で働いているコックの多くが、アフリカからの移民であると私は知りました。これは他の地中海諸国でも同じようです。
いかにもイタリアの景色の中で地中海の本場のシーフードを楽しむ客は全員、コックは陽気なイタリア人だと思っています。それが料理の価値の一端でもあるわけです。だから、人件費抑制のためか、暑く重労働な厨房などイタリア人は働きたくないのかは知りませんが、アフリカの移民が料理を作っているなどと客に見せるわけにはいかないのです。
芦屋で見た日本の将来
私の塾から夙川までの間に、昔は個別指導塾が入っていた建物で、その後レストランなどがコロコロ変わった建物があります。どの業種も上手く行かなかったようで、先日とうとうその建物は取り壊され始めました。
その解体現場で働いているのは、全員移民です。灼熱と埃の中、日本人が嫌がる重労働を彼らはしてくれています。コンビニの店員やレストランのウェイトレスだけでなく、サービス業や3K仕事ではもはや日本でも移民は必須の労働力になっています。
寿司屋のカウンター席がなくなる日も将来来るかもしれません。
塾が感じるその理由
「中学の数学 通知簿3の生徒の場合」「公立中学の下半分の落ちこぼれ感がハンパない/落ちこぼれた生徒の見分け方」などにも書いたように、平均的な生徒の「辛抱」や「頑張る」のレベルが途方もなく落ちてきて、解体現場や厨房での労働に耐えられない。
それどころか、普通の企業でも耐えられなくなっていると思います、この厳しい経済環境下で働かせてくれる企業の少しの残業でも「ブラックだ!」とか騒ぎ出す。能力もないし権利意識だけ高い若者を雇うくらいなら、3K職場でなくても、移民を雇った方が良いということになるでしょう。
その結果が、雇用のミスマッチと言われることです。人手不足で移民を雇わなければいけない、あるいは辛抱のない日本の若者を雇うくらいなら移民を雇う企業が増えてくる。その一方で、非正規で首を切られて自殺する若者が増えている。塾で多くの生徒を教えてきた経験から、死ぬまで追い詰められても、「辛抱」や「我慢」して働く選択肢が彼らにないと思うんです。
入試と自分の将来が目の前にぶら下がってもヤル気もない学習でお茶を濁す子供が、非正規になって目の前に困難がぶら下がっても必死で働くとは思えないからです。入試と同じで、漫然と状況に甘んじて、にっちもさっちも行かない状況に追い込まれてしまうんです。
老舗日本料理割烹の厨房で中国語やベトナム語が飛び交う将来は近い。
塾が感じる危機
因みに、エリート層でも日本の根性低下は同じです。経済絶好調のアメリカのエリートの裁量労働制とは「ゴールドマンの過労死対策、「勤務は午前0時まで」」というものです。好景気でも今のビジネス環境は厳しいということです。担保主義で「土地がないと金は貸さない。」などと言って、デフレ環境下で3時に窓口を閉めてクリーン企業を目指す日本の銀行など、どうあがいても勝ちはない。
老舗料亭の厨房どころか、日本企業の本社は中国人やベトナム人だらけになるんじゃないのか? 日本で中途半端な大学に進んでもまともな就職などなくなるかもしれません。ということは、鉄緑会など以外の塾も潰れるということです・・・(´;ω;`)。