色々聞いたけど、これが一番すごい件/オケから男尊女卑を考える
古典音楽は今のオケの方が優秀ですが、ロマン主義はそうとも限らないと思う
半世紀前の演奏ですが、チビリそうなくらいカッコイイです。いろんなのを聞いて、これが一番すごかったです。
この音の揃い具合。アインザッツの凄さ。音のボリューム感。 金管から弦まで完璧なアンサンブルが完全な音量バランスで完璧に合わさって、混然となったフルオケのマスの響き。オルガンのように聞こえます それでいて、各アンサンブルがキチンと聞こえる。本当に凄いです。
落としたテンポを上げてオケを解放しながらトゥッティに持ち込む見事さ、その際も金管から弦までアンサンブルは一糸乱れない。あまりの凄味にチビリます。
カラヤンのこの音響は、まだ不鮮明だったアナログのステレオ録音がどれほど効果的に聞こえるか狙ったものだったと私は勝手に解釈しています。80年代のデジタル録音になって、カラヤンのベートーベン全集は様変わりしましたから。マスの響きより各アンサンブルの独立性を重視している。
私はこの両者のライブを生で聞いたことがあります。5000人入るだだっ広く音響の悪い普門館のホールをブラームスの1番と3番で音で埋め尽くして鳴り切らせましたよ。あんなオケ、後にも先にもありません。シンフォニーホールなんか音が飽和して全身にまとわりついてきました。
カラヤンのライブはスタジオ録音とは別物です。カルロス・クライバーのライブなど比べ物にならないくらい凄かったです。
古典音楽の今の演奏レベル
様変わりしたベルリン・フィル。凄いアンサンブルだと思います。やはり、フランクフルトなんかと比べても、抜きんでている。古典音楽の集大成をこの曲に込めたベートーベンも本望だと思います。
オーケストラの古典音楽でのアンサンブルも90年代までとは様変わりしている。特にドイツ系のオケではマスで響かせるカラヤンのような手法は少なくなってきている。古典音楽で80年代から出だした古楽器の室内管弦楽団の影響をフルオーケストラも色濃く受けています。
室内楽団のようにアンサンブルを際立たせるためには、ピリオド奏法なども多用して音を薄くして、フレーズもタッカート気味に短く切って、その度にアンサンブルの構成を入れ換えて目立たせる。この演奏を聞くとベルリンがラトルを指揮者に選んだ意図もよく分かります。旧来のアンサンブルを守るロイヤルが、ヤンソンスや、もう少しモダンではあるがシャイーなどを指揮者に選んで、厚い響きで弾くのと正反対です。ベルリンの弦に若い奏者が多いのも、モダンな奏法に対応できる奏者を選んだことが原因かも知れません。
こういうアンサンブルを明瞭に打ち出す演奏も、鮮明なデジタル録音の賜物でもあります。第1ヴァイオリンのカウンターパトとしての第2ヴァイオリンの役割をデジタル録音なら明瞭に聞き取れるようになったから、対向的な古典配置が有利になってきた。このラトルの演奏は、ただ単に、演奏が進歩しただけの結果ではないと思います。
ワーグナーでカラヤンがまだ対抗できる理由
ところが、アンサンブルの明瞭な室内管弦楽団が演奏できない大編成のロマン主義では、外圧はフルオケにかからずに、演奏は旧来のままで大きな変化はありません。あるいは、アンサンブルの妙を楽しむ古典音楽と違って、メロディと伴奏という単純な構成のロマン主義の音楽ではラトルのようなアプローチは難しいのだと思います。
だから、アンサンブルは古いスタイルのままです。ベートーベンやモーツァルト、ハイドンの演奏ほど進歩はしていない。その古いスタイルでダントツで最高峰のアンサンブルを誇ったカラヤンとベルリンがまだ対抗できるのはもっともだと思います。
ところで、このカラヤンの艶と張りがありながらヴォリュームがあるオケの音には秘密があると言われています。
オケは男尊女卑そのものだった/それは必然だったのか?
カラヤンはあの当時のベルリンの響きを出すために、チューニングのピッチを上げて弦楽器にはブリッジに近いところを弾かせたと言われています。
でも張りのある弦でブリッジに近い位置で弾かせて音量を出すのは腕力が必要です。だから、カラヤンは男の奏者以外は入れなかったと言われています・・・ホンマやろか? まあ、ラトルの現在の動画でも、ベルリンは明らかに他のオケより男の比率が高い。硬質でありながら、これほど厚い響きを出すためには、やっぱり男の腕っぷしがいるんでしょうかねぇ?
まあ、・・男社会が女性を敬遠したというのが本当だったんじゃあないのかなぁ。ウィーに・フィルにも女はいませんでしたからねぇ。
でも、あの当時のベルリンの響きも、ウィーンの響きも、男女平等をうるさく言われだして女性がメンバーになってから、消えてるんですよねぇ・・・何でもかんでも男女平等でかけがえのないものを壊すのもどうかと思ったりするんですけれどもねぇ。
もちろんそれは、機能的でモダンな奏法を取り入れて、あまりにも機能的になったオケが均質化したということが真実でしょうけれどもね。サッカーなんかでも、機能的になってきた最近では、特徴あるプレーなんか許されませんからねぇ。ワールドカップなんか見ても、昔のように国ごとの特徴などあまりありませんから。
男尊女卑以前の日本
外国に音楽ホールがあるということは、そのホールで演奏する常設のオーケストラもあるということを意味します。
ところが、日本ではいくら立派なホールができても、そこで演奏するオーケストラはありません。我々の受信料を貪り食うNHKくらいです。結局、行政は天下り先の土建屋に建設費を払えばそれでいいんですよ。そのほかに払う金などないんです。
これは音楽ホールだけでなく、美術館や博物館でも同じです。常設展だけで見に行く価値のある美術館はありますか? あってもブリジストンや千葉の佐倉などに私設の数少ないコレクションを見せる小さな美術館があるくらいです。
我々が公立の大規模な音楽ホールや美術館に行くときは、海外からオケや展覧会が来た時だけです。男尊女卑さえ日本にはない。
ところで、最高のベートーベンは?
このコンビだと思います。このコンビの全集は傑出しています。
この手垢に塗れたベートーベンの交響曲で、これほど工夫を凝らして清新なアンサンブルに整え、新しい響きを生み出した演奏はない。全ての響き、フレーズに工夫がある。感服します。