子供から救われることが多い/塾が楽しみになってきた最近
私が塾経営を楽しめなかった一番の原因
こういう感覚は、塾を昨年再開するまで抱かなかったことです。
やはり博士号まで持っていて一般社会からドロップアウトして、小さな塾をやっている自分を自分で肯定できない期間というのは凄く長い期間ありました。生徒の父親の職業なんかを知って惨めな気持ちになることも多かったです。
でも、私ぐらいの年齢になると、きわめてわずかの成功者以外は、リストラや子会社出向や役職定年などになってきています。一方で、塾経営なんてものは、この年齢になっても、自分の才覚でなんとでもなります。
それに、高齢で出産されるようになって親御さんの年齢が上がってきています。親御さんからしたら学校の先生は頼りないと思う方も増えています。だから、 生徒のお友達のようには振る舞えまえないベテランですが、企業だったらリストラ扱いされるベテランでも塾講師なら求めてくれる方もいるんです。
大手が押し寄せる中小さな塾の経営は大変ですが、小さな塾を自分の思う通り運営出来ることは幸せだと感じています。
二つ目の原因、親への対応
私たちは普段世知辛い大人の世界を生きています。塾経営も例題ではありません。
今までも散々書いてきたように、努力をする気もない子供を預かって精一杯頑張っても、こちらに全面的に非を押し付けられ親から訳の分からないクレームを受けて辞められるなんてしょっちゅうです。
中には、成績を思う存分伸ばしても「まだまだ伸ばせないお前の塾はアカンわ。」と法外なことを言われることさえあります。正直申し上げて、自分で苦労して学習してきた経験のない親御さん、しかも仕事の苦労も知っていなさそうな母親にそういうことを言われると、本当に情けなかったですよ。
でもね、やはり世知辛い大人の世界で疲れた時には子供に救われることもあります
その中で、私の立ち位置は普通の塾の講師や学校の先生とは違っていました。私の立ち位置は「先生」ではなく、大企業の社員・研究員のいいところも悪いところも見てきた目から見て「子供にどういう将来が良いんだろう」と思ってきたことです。だから、「理系選択の盲点「勤務先」/考えてますか?未来の生活」のようなことも子供たちには言ってきました。
子供の将来を見て、子供の成績をどう上げるか、間違ったベクトルを持つ親には根気よく話して話分かってもらって子供の正しい将来選択をしてもらおう・・・こういうことしか考えていなかったんです。子供はビジネスの対象であり、同時に少しでも良い将来に寄与したいという思いの相手だったんです。
ところが、色々な世知辛い思いをすると、最近、子供の顔を見て、少しおしゃべりしたり、教えたりするのが楽しくなってきたんですよ・・・塾を再開するまでの私では考えられなかったことです。
子供と話をし、教えていると自分が救われるような気がしてきたんです。
その理由は何か?
一番最初に書いた私の心情や環境の変化が大きいでしょう。けれども、私は今塾に通ってくれている生徒たちのおかげだとも思うんです。
それは、塾再開後、生徒の質を絞り込んできた結果であるということです。やはり、学習を教える以前に小学校低学年のような躾を反抗期の子供にしていかないといけないという、この業界の最大の苦労をしなくなくてよくなったことが大きいと思うんです。
それに加えて、そういう子供の実態を知らずに無理な注文をして来る親御さん、あるいはそういう状況を知って丸投げして「なんで成績が上がらないのか?」と責めてくる親御さんから解放されたということでもあります。
私の結論
進学校や進学塾の教師や講師なんか、楽勝で、結構幸せな職業ではないか?ということです。
教師というと最近は過重労働や3K労働の代名詞のように扱われて、希望者が減っています。もちろん、公立中学や中堅校それに補習塾ではその通りだと思います。
こういう職業の幸不幸は教え子によるところが大きいです。一流校や進学塾より、面倒な生徒が集まる底辺校や補習塾が尊敬され授業料や給料が上であって当然であるはずなのに、まったくその逆になっている。だって、底辺校や補習塾では、教える方は苦労しても、教えられる方は社会で効力のあるパスポートなど手に入らないからです。見込みのない老人の世話をする介護従事者が3K扱いされ、給料も低いのと同じです。この点が改善されないことには、底辺校や補習塾の改善はない。