100年前の通貨安が生んだ文学と芸術/現代の日本では?
フランスの不能とスペインの血と大地
高校の時、一番心惹かれた小説のお話です。
1次世界大戦後、1921年には1ドル12フランだったと言います。パリでは40ドルで家具付きのアパートが借りられました。当時、アメリカの大企業の代表のGEの平均年収は1700ドルです。
ところが1925年になるとヨーロッパでは、敗戦国のドイツだけではなくフランスでも急激な通貨安が進み1ドル21.25フランと、フランは半額になったのです。ということは20ドル少し、年間でも240ドルあれば家具付きのアパートに住めます。同じように、食費もワインもアメリカ人にすれば格安になりました。
1次世界大戦の需要が支えた好景気で少し小金を貯めたアメリカ人はおしゃれなパリで美味しいワインを楽しみ遊んで暮らせたのです。当時パリの警察によると、35000人もアメリカ人がパリに住んでいたと言います。その中のひとりがヘミングウェイです。
彼はこの滞在時のフランスからスペインへの旅行を「日はまた昇る」という小説にまとめました。そのクライマックスで描かれる祭りが今年ももうすぐやってきます。
この祭り、絶対に行きたいんですが・・・けど、宿は取れないらしいですねぇ。
パリのアメリカ人
アメリカを代表する作曲家も、通貨安を楽しんだようです。
もうすぐしたら、An American and a Chinese in Tokyoなんて曲ができるんでしょうか? 日本の不動産は中国人にバカ買いされてきましたしね。タワマンの最上階なんて、ほとんど中国人が買ったという都市伝説まであります・・・もっとも、習近平が共産党幹部やその家族が海外不動産を買うのを禁止しましたから、流れが変わるかもしれませんね。
でも、パリのアメリカ人とは、新興国で金だけはあるお上りさんのアメリカ人を揶揄したパリ市民の言葉です。同じようにプライドの高い京都人も言いそうですなぁ。
逆に通貨高の国に出稼ぎに行った作曲家/いや、ナチスや共産党の影響でしょ?
この当時、多くの作曲家や演奏家が貧困のヨーロッパから経済大国になったアメリカに渡りました。ラフマニノフ、ルービンシュタイン、ストラビンスキー、シェーンベルグ・・・金目当てもあったでしょうが、ナチスやソ連から逃げるためもあったようです。
有名な音楽家にはユダヤ人が多いですし、その上ヒトラーは抽象芸術は大嫌いでしたから。ソ連の共産党も「風紀に良くない」と相当な締め付けをしたようですし。
一方、通貨安の日本では
そんなに詰め込んでギューギューになったパン食いたいか?・・・哀れが過ぎて滑稽ですな。コロナ前、中国人は黒門市場で本マグロのトロを爆食いしていたというのに・・・。
私の願望
ドルはどうでもエエから、1€=30円くらいになってくれへんかなぁ・・・。オレもパリで遊んで暮らしたいなぁ。いや、どうせやったらマルセイユの方がエエなぁ・・・。