高級店と貧民店の二極化が始まる?/中学受験も一層進む/回転寿司醤油舐め事件から

回転寿司醤油舐め事件/「コイツだったらやるよな」感しかない

みなさんご存じの、スシローで金髪の少年が醤油の容器をなめたり、唾が付いた指で流れている寿司を触ったりした動画を上げた事件です。ここでこの事件がよりバズッた背景には、この少年が金髪でチャラく、いかにもやりそうなヤツだったということもあると思います。おまけに学校等が特定されると、ほぼ底辺校の高校の生徒だった・・・「コイツだったらやるよな~」感しかないわけです。

この前の週にも同じような事件がありましたが、この事件がより大きく取り上げられているのは「コイツだったらやるよな~」感だと思うんです。と同時に、こういうヤツは排除してほしい感もある。

ここで思い出すみんなの記憶/コイツ等だったらやるよな

今回は回転寿司であったこの事件を見て、みんなが思い出したのは10年ほど前に流行ったコンビニでのバイトテロ事件やおでんツンツン事件でしょう。これらの事件も、人物が特定されるにつれ「アイツ等だったらやりかねない。」と言うことでバズったわけです。

そこで、私たち全員「こういうヤツ等を雇っている店、こういうヤツ等が行く店では何をされているか分からない。」という嫌悪感を味わったのです。

金持ちはコイツ等がいる店を利用しなくなる

アメリカ人が日本に来て驚くのは、安売りスーパーに高級車が並んで金持ちも庶民も同じように買い物をしていることだといいます。アメリカではこういう人間が増えた結果、こういう人間がいる店と、こういう人間がいない店に分かれています。簡単に言うと、金持ちが行く店と庶民が行く店は分かれています。だって、金銭的に余裕があるのなら、こんなヤツ等のいる店に行きたくないでしょ?

みんな同じスーパーに行ける日本ではそんな心配がなくて、旅行に来て大阪下町のB級グルメの店でも安心して楽しめるわけです。アメリカのダウンタウンの安い店で「ソース二度漬け禁止」なんか成立するわけないじゃん。

この状態は、中間層が分厚く、多少の貧富はあってもベンツでスーパーに行くのか軽自動車でスーパーに行くのかの差くらいで、人生の中身にも幸せにも大差がなかったからできたことだと思うんです。ところが、日本もアメリカに引き続いて経済的な二極化が進み、欲求不満の下層が大量生産されるようになって、こういう騒動が増えてきたように思います。

だってコンビニでバイトするしかなく、そのコンビニの弁当も腹一杯買えずに彼女も作れない人間が、ベンツに乗って来て彼女とイチャイチャする人間の唐揚げに唾くらいつけてやれと考えるのは当然の心理でしょう。

そうなれば、アメリカと同じように、何をするか分からない下層がいる店には余裕がある層は行かないという選択肢を取って当然になります。

同じことが学校でも起こる/コイツ等がいる公立校には行かなくなる

公立校のメリットを語るときに必ずと言っていいほど引き合いに出されるのが「多様性」です。優等生から不良まで、成績の良い生徒から悪い生徒まで、いろいろな人間の中で揉まれ理解しあう経験は、社会人になってから役に立つというものです。

でも、成績の良い生徒、経済的にある程度恵まれた生徒が抜けて、金髪で醤油入れ舐めるような子供が多く残った学校になっても、そこに子供通わせる気になります? そもそも「多様性」って言っても、いい大学出ていい企業に勤めてソコソコのマンションに住めば、醤油入れを舐めるような人間と接することはなくなります。嫌な目にあわされる「多様性」などに慣れる必要などないんです。

私が「イジメをするようなヤツ、タチの悪いヤツに酷い目にあわされたくなかったら、勉強して進学校に避難しろ。」と言うのと、ある意味同じなわけです。こういうヤツ等がいない社会で過ごすということです「夏休み明けの登校拒否/学校なんか行かなくていいです/イジメから確実に逃れる方法

多様性など自分がいる社会で認め合えれば十分

「多様性」とは言っても、それは自分達が快適に過ごす社会の中での認め合える多様性であり、何でもかんでも引き受けて被害を被ることではありません。だからアメリカの高収入層はSDGsを叫んで「役に立つ優秀で小綺麗で善良な移民を肌の色だけで差別してはいけない」と言いながら、経済的問題から貧困に苦しみホームレスになっている同胞のアメリカ人には冷淡なんです。

中学受験が定着し、公立中学と私立中学の生徒の層が分離しつつある昨今、多少の学力があり親にも余裕があるのであれば公立など誰も行かなくなるかもしれません。だって、醤油入れ舐める金髪の子供と自分の子供を一緒に学ばせたくないでしょう。勉強の足を引っ張られるだけではなく、何をされるか分かったものじゃない。もし、こういう質の悪い子供のターゲットにされて不登校にでもなれば、自分の子供の人生は滅茶苦茶にされます。

それに、私立に行って、ソコソコの大学に進み、ソコソコの会社に就職すれば、そういう仲間内の多様性しか関係ないし必要なくなる。自分に危害を加えるかもしれない下層を受け入れる多様性なんて必要ないんです。そして、ソコソコお金がある層は、何がされているか分からないコンビニでおでんや唐揚げなど買わなくなる。回転寿司やファミリーレストランにも行かなくなる。公立中学にも行かなくなる。

コンビニのバイトが生活苦で自殺しても、社会で実権を握っている層は気に留めなくなる。アメリカで豊かな都市生活者が同胞の落後者を見捨てながらSDGsを叫んでいるような社会が日本でも目前に迫っているのかもしれません。

醤油ペロペロの行く末は聖戦

安部元首相の殺人や梅田の放火事件、秋葉原の大量殺人事件のような犯罪は、醤油ペロペロの延長線上にあります。不満で鬱屈した底辺層の、自分たちを搾取してのうのうと暮らしているアッパークラスへの復讐です。現代の市民革命と言ってもいい。誰もが隠したいこの事実を正面切って描いてアメリカ人を恐怖に陥れた映画がこれです。

人生にうんざりして、自分たちを貶めた人間を巻き添えにして死のうと思っている人間に厳罰化などでは対処できない。まさしく聖戦なわけですから。でも、私たちはこの路線を間違いなく歩んでいる。

ジョーカーを育てないために/最近の復讐事件から考える

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。