発達障害ビジネスの問題/逃げ道にならない発達障害
学習障害の方を貶めようという気はありません。ただほとんどの場合は逃げ道には使えないということを認識して、できることをしてほしいだけです。
自閉症スペクトラム、ADHD、LDなど関係ない
発達障害にもいろいろな考え方があると思います。またいろいろな見方もあると思います。他人と自分の子供とでは、同じ症状でも180度違った見方になるでしょう。しかし、ただ一つ確かなことは、社会的に「障害」と認められて援助が受けられるのは愛護手帳の1級~4級までだということです。障害者枠での企業採用も1級~4級の手帳所有者に限られます。
1級とは知的障害があり、食事や身のまわりのことを行うのに全面的な援助が必要であって、かつ、会話による意思の疎通が不可能か著しく困 難であるため、日常生活が困難で常時援助を必要とするもの。
2級とは知的障害があり、食事や身のまわりのことなどの基本的な行為を行うのに援助が必要であって、かつ、会話による意思の疎通が簡単なものに限られるため、日常生活にあたって援助が必要なもの。
3級とは知的障害があり、労働が著しい制限を受けるもの。
4級とは身辺生活の処理可能、簡単な読み書き、計算がほぼ可能、言語及び簡単な文通可能、単純な作業が可能、という診断を受けなければなりません。
抽象的でよくわかりませんよね。
具体的にはどういうことか
この等級とは、知能指数とある程度の相関があります。この障害の基準は知能指数が1級とはおおむね知能指数が20以下、2級とは35以下、3級で50以下、4級は70以下に相当します。
では、このよく出てくる知能指数とは何でしょう? これは16歳程度以下の年齢で、何歳並の精神年齢があるのかを示す値です。例えば、高校1年生16歳で、1級の知能指数20なら16×0.2=3歳程度、2級の35なら5~6歳程度、3級の50では8歳程度、4級では11歳程度と計算されます。
ですから、高校1年生で小学校5年生並以下の知力しか持たない場合を除いて、社会的には健常人と同等の扱いだということになります。だから、最近よく言われるグレーゾーン、知能指数が明らかに人より劣っているが70台で高校1年生で中学1年の知能しか持たなくても健常人扱いです。でも高校1年生と中学1年生とでは、子供の知能は全く違います。それは中高生を毎日教えている私が良く知っています。それでも何の保護もありません。結果、学歴もなく、就職も出来ず、生活に困って犯罪を犯して刑務所で食うしかない人も多くいます。社会で食えないから、刑務所がセーフティーゾーンになっているのです。
下の表をご覧下さい。これは刑務所に入るときに全員受けさせられる知能指数のテストの結果です。知的に問題がありながら何の援助も社会からないグレーゾーン、知能指数70~84付近の受刑者がほぼ半数を占めます。
だから、「勉強が分からない。お医者さんにグレーゾーンと言われた。」「うちの子はADHDで集団生活が・・」などで公立中学で通知簿に2がついていたとしても、何の意味も持ちません。企業にしてみれば、ただの扱いにくい人間あるいは実務能力のない人間です。
医者の軽度の学習障害認定など、子供の適性に合わせた育て方への指針にはなっても、それで救われるものではないのです。もちろん、「問題の意味が分からない」「テスト範囲の漢字を覚えるのイヤヤねん。」というダラシナイだけの公立中学で通知簿2の子供は、ただの無能として扱われ、とんでもないことになるだけです。
学習障害が医者やその方面の人間のビジネスになっている
だから、いくら自閉症スペクトラムやADHDと言っても、ほとんどの場合「扱いにくい」だけの健常人です。勉強が少し不得意で通知簿が2,あるいは集団に馴染めない、忘れ物が多いなど、ただの健常人です。何の保護もないんです。
だから、その子供の特性に合わせて育てていくのは大切なことかもしれませんが、その結果に対しては健常人と同じ評価が下されます。自閉症スペクトラムと診断されたからと言って、そうしたらその子が好きで集中できる何かで人から評価してもらえるところまで頑張らないとどうにもならない。ただ、「嫌いなことは嫌で好きなことならできる」だけでは意味がない。そうでなければ、上の表のように悲惨な未来が待っています。
やはり、社会の中で生きていけるように育てざるを得ないのに、「子供の個性を大事にしましょう。」という安易な学習障害ビジネスが蔓延しているのはどうかと思います。個性が突出していて社会集団にはなじめないのなら、その個性を武器になるところまで頑張らせることが必要だと思うのです。けれど今の障害者ビジネスでは、そういう厳しいことは包み隠して、結局とんでもないことになってしまう。