自分の顔に責任を持て!は子供に対する言葉

30歳を過ぎると男は自分の顔に責任を持つのか?

良く、「30歳になったら自分の顔に責任を持て」などと言われます。男の表情や威厳を社会的地位が作るという一般常識が広く浸透しているからです。ところが、この常識は平日の午前中にスポーツクラブに行く私には、まったくのデタラメに思えます。

スポーツクラブは平日の日中は老人ばかりです。彼らの世間話を聞いていると、大企業で役員だったような方、あるいは商売などをしてお金持ちの方、そして普通の方・・・様々な方がおられます。所得格差もあるし、現役時代の社会的地位も違う老人が集まっています。ところが、その男たちが同じようなTシャツ・短パン姿でいるのを見ると、まったく見分けがつかないのです。「いや、大企業の偉いさんなら、立派な雰囲気でしょう?アナタが分からないだけじゃないの?」という方もおられるでしょう。そうかも知れません。でも、それほど人を見る目がないともあるとも言えない普通の私には、他のオッチャンと全く見分けがつきません。

男は、それ相応に整えた髪型で、それ相応のスーツを着て、その地位に相応しくふんぞり返っていないと、それ相応には見えないんです。だから、この常識はウソだと私は思っています。正しくは「30歳になったら自分の地位と身だしなみには責任を持て」だと思います。

女性の場合も同様です。女性の場合はキレイに化粧をしてきているかとか、Tシャツと言っても少し気の利いたものを着ているかで印象が変わりますが、それが生活レベルを表しているものではありません。普通のお婆さんがカイエンに乗っていることもあるし、逆に綺麗にしたおしているご婦人がコンパクトカーのこともあります。

18歳以下の子供の顔つきは、如実に成績を映しだす

ところが、自分の顔に責任を持たなくていい子供では、同じような制服やTシャツを着ていても、その顔つきで成績が良いかどうかは、あらかた見当がつきます。やはり、しっかりとして知的な顔つきをしている子供は成績が良いことが多いし、目の間が離れているような間の抜けた表情をしている子供は成績が悪いことが多い。独特の反抗的な目つきをした子供は手に負えない場合が多い。この顔つきや目つきは一目で見分けられます。

ところが目の間が離れた子供でも、変わり種がいて、これに誤魔化される場合があります。こういう子供ではだらしない行動が多く、忘れ物も多く、学校の授業内容どころか学校でどこを学習しているかさえ分かっていません。当然、論理的な考察力もないため、学習や進路の話などを聞いても、何がどうなっているのか分からないことがほとんどです。ところが、勉強や進路の話は全く話せなくても、大人びた挨拶をして、スラスラと大人並に世間話をする子供が一定数います。

これに素人は騙されます。だから、事件報道などで「挨拶もしっかりとして、キチンと話もできるいい子だったのに・・・」というのは、子供のことを全く知らないステレオタイプの人間に向けた情報です。反抗期なら、まともであったら、外で近所の人に大きな声で挨拶など、恥ずかしくってできませんって。

そんなもの、話を聞くから騙されるのであって、顔つきを見れば一目瞭然です。人生の歴史を刻んだ大人の顔より、まったく苦労も知らない子供の顔の方が本質は分かりやすい。逆に大人の場合、顔つきからは分からなくても、話をすればその人間が分かることが多い。

ということで、人生の歴史は顔には刻まれません

大人など身ぐるみ剥いで化粧も落とさせて素っ裸にしたら区別なんかつきません。素晴らしく有能な経営者でも、知力が高い学者でも、そのへんのおいちゃんでも、スポーツクラブに来れば全く差が分かりません。でも、子供は同じ体操着を着せても、賢いのか手に負えないのかすぐに分かります。何故なんでしょうねえ。

おそらく後天的な体験より、先天的な遺伝形質のほうが強烈なんでしょうねぇ。生きていくうちに、その遺伝形質は、地位や環境は違えども、みんな同じような苦労を重ねていく中で埋もれていくんでしょうか?私には分かりません。

大人でもすぐに分かる顔つきの例外

スポーツクラブでも60歳・70歳の顔を見てもすぐ分かる顔つき、それは、若い頃にヤンキーだった顔です。何歳になっても、その眼つきや表情ですぐに分かります。アレは人生という後天的なものではなく、先天的なものなんでしょうねぇ。そして、どんな人生を送っても、消えないほど強烈な遺伝形質なんでしょう・・・ジジイになってもアイツら群れるんですよ。ヤンキーの本能なんでしょうかねぇ。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。