スポーツが習っても上手くならない理由/勉強も習っても出来るようにならない理由は同じ
スポーツのインストラクターやコーチは教えるのが下手だから
もちろん、本人が上手くなるまで努力しない、あるいは上手くなる才能がないというのが大きな理由です。でも、もう一つの大きな理由は、スポーツのインストラクターやコーチは教えるのが下手なことがあると思います。
そして、コーチたちが教えるのが下手な理由はとても明快です。「苦労もせずに上手くなった人間は、下手な人間が何を出来ないのか分からない」からです。私もスキー、水泳などいろいろなスポーツを大人になってから教室に入りましたが、役に立ったものなど一つもありませんでした。
苦労せずに上手くなったコーチ連中は、簡単なことを素人ができずに苦労していることを分かっていない。だから、「ホラ、こうすればできるでしょ。それを、アンタは何でできないの?」と当然のことのように言われます。
その「こうすればできるでしょ」ができないから、こっちは苦労してるんだよ! それを出来るように解説して指導するのが金を取っているコーチなのに、むこうは自分が上手いのを得意げにして見下してくるから嫌になるんですよね。
それで、こういうコーチ連中は何をするのか?
コーチの側からしても、「こうすればできる」とフォームを教えてできないと、「ヘッ? なんでこんなことできないの? 教えようないじゃん。」と思っていると思うんですよ。だから、その感情が態度に出るんです。
でもね、フォームは合理的に筋肉や体を使った結果現れる形態ですから、基本の体の動きができないと安易にフォームを教えてもできるわけがないんです。でもその過程を自然と出来たコーチ連中は、それ以前の筋肉をどう動かすのかレベルで分かっていないことが分かっていない。仮に分かっていても、その筋肉の相互関係がフォームとどう結びついているのか説明できない。だって、そういうことを考えなくても出来たんだから。
この状態、数学ができる人間に教えてもらった時と似てませんか?
「ほら、こうすればできるじゃん?」と言われて、「いや、なんでそうなるかが分からないし、出来ないんだよ。」と言っているスポーツのこの状態は、数学ができる人間に教えてもらったときと同じです。
これは学校の先生や数学ができる友達レベルの話だけではなく、最高レベルのプロが書いているチャート式という有名な数学の問題集を読んだ時も時々あります。「なんでそうなるのか?」と普通の高校生が首をかしげることをすっ飛ばして書いてあるのです。
勉強でもスポーツでもできる人間は普通の人間が出来ないことが分かっていないんです。
だから「京大生に教えてもらえば、勉強ができるようなる」と思っている親はダメ
だから、教えてもらわなくても出来るレベルの京大生に、「彼らは頭がいいから」だけで個別指導や家庭教師を頼む親は愚かです。イチローにリトルリーグの二軍の子供教えられると思わないでしょう。それを勉強では教えられると思っているからです。
「ほら、こうすればできるじゃん。」「数学なんか感性やで」などまでは言わないにしても、それがベースにある人間に教えてもらっても、普通の生徒は役に立たない。
数学を例にあげましたが、数学だけの話ではなく文系科目でも同じです。それが一番よく分かるのが、中学の英語の教科書です。全員は無理でもホドホドの子供には理解できるように書かれていなければいけない公立中学の教科書が、習っていない文法満載の本文を載せている。だから、基本的に狂っているわけです。「このくらい分かるでしょ。」的な感覚がないと作れないし認可できないような代物です。
かといって、苦労が分かる同類は教えられる能力がない
でも、同じように「なんでそうなるのか分からない」と言っている人間では教えきれる能力がないのは皆さんお分かりになっている。だから、「京大生の家庭教師」と親は言うわけです。でも京大生では、「ほらこうすればできるでしょ」とメチャクチャな英語の教科書で解説するだけになってしまう。
だから、自然に出来たわけではない、諦めずに苦労して出来るようになった人間が必要なわけです。そういう人間なら、分からない人間側にも立てるし、教えられる能力もあるからです。京大生でも産近甲龍の学生でもダメなわけです。
適切な指導ができる能力は才能?
私は、ある程度できる人間で出来ない人間がどこでつまづくのか分かっている能力は、貴重なものだと思います。多くの人は自分と同レベルの人間のことしか理解できないからです。たとえ、出来ないところから這い上がって出来るようになった人間でも、今度は「何で頑張れないの?」と言い出しかねない。多くの人間はできる能力の前に頑張れる能力が欠如しているんです。最初から「この子ならここでつまづく。理解できるレベルはここまで。こっちは頑張れるレベルはこんな感じ。」と分かる人間は少ない。
だから、いろいろな子供を教える経験から、「この子ならここでつまづく。理解できるレベルはここまで。こっちはこんな感じ。」と分かるセンサーを磨かないといけないんです。でも、私の経験では「長いこと教えている」だけでは、このセンサーは磨かれなません。というか、このセンサーも、もともと持っていない人が多い。
このセンサーは経験で磨かれるものでもありますが、そもそも先天的に持っていないと磨きようもないわけです。「この子供ならここでつまづく」と分かる人間はキャリアが浅くても分かるし、分からない人間はどれだけ長く教えていても分からないと思います。それは、最初に書いたスポーツのコーチや、長い経験を持つプロ中のプロが書いたチャート式の解説や中学の英語の教科書を見れば明らかです。
だから、適切な指導ができる人間を選ぶことは結構めんどくさい作業です。