国語の長文読解ができない生徒/物語は読めるが説明文は読めない生徒の処方箋はない/子育ての集大成
説明文が読めない生徒:下位レベル編
語彙力不足から、まず文章が読めない生徒がこれに当てはまります。物語文であれ説明文であれ読めません。公立中学で通知簿4の下半分、それに中堅高校に通っている生徒のほとんどがこれにあたります。
小学校から読書習慣もないからです。別にクソ面白くもない学校推薦図書を読めと言っているわけではありません。ネットで好きなことの情報を読むことさえもないから、徹底的に語彙能力が不足しています。
彼らには解決方法はないです。
では、こういう子供に無理やり本を読ませて語彙能力が上がるか? 上がりません! 嫌々読むだけだからです。教科書を読むように呆然と読み流すだけなので、分からないことは分からないままで、語彙力も読解力も上がりません。
せめて、自分の好きな趣味やアイドル関係の本やネットの記事を自分から興味を持って読む=理解しようと挑戦する習慣がない子供には、いくら周囲が読書をお膳立てしても能力向上は難しい。
語彙力がないので国語だけでなく、社会も、理科もすべての教科書・参考書が読めません。この時点で手の施しようがないです。中学1年生で、こういう生徒は国語や社会の教科書を読み切れなくなるので、直ぐに判別できます。
語彙能力があって、物語は読めても説明文が読めない生徒
中学校の高学年から、教科書の物語は読めて理解できるが、説明文は分からないと言う生徒が増えだします。物語が読めるのですから、大きな問題点は語彙力の不足にはありません。
日本語が読めても、説明文に書いてある社会事象が年齢相応に高度になってくると、年齢不相応の社会的知識と常識しか持ち合わせていない彼らには何が書いてあるのか理解できないので読めないのです。英語長文の「英語長文読解が読めない生徒/慶應義塾は英語長文で社会常識と知性を問う/イーロン・マスクの行動から読む「ポリコレもテスラも終わりの予感」」で書いた通りです。
こういう生徒の多くは、学校に行き、クラブをやり、その後は塾に行って、家で宿題をやって寝るというスケジュールの生徒に多いです。社会に目を向ける時間、社会に興味を持つ場がまるっきりないことが原因で、その多くはクラブを無駄に重視する学校と学校と塾の過当競争による過重学習で、子供が他のことに目を向ける余裕がないことが原因です。「真面目に勉強している生徒の学力が下がっている不思議/学校と塾の過当競争が生み出す悲劇」
進学校が得意げに売り物にする「文武両道」の成れの果てですな・・・せめて、教科書に載っているしょうもない評論なんか、「言語明瞭、文体不明瞭、内容軽薄で読む時間が無駄。難解な文章で包み隠した見せかけの知性を売り物にするビジネス。」と言うだけの若者を育てるのが、名門校の誉れでは?
処方箋は?
ないです。入試前に説明文が読めないからと、朝から晩までニュースやワイドショーを見せるわけにもいきません。
一昔前、中学受験の流行・それとクラブ全員参加の風潮と共にクラブと学習以外やっていない子供が量産され始めて、国語の読解や小論文ができない生徒が激増し、予備校は「時事特集」みたいな冊子を販売しました。ところが、そのような参考書はいつの間にか売られなくなっています。膨大な知識のストックが必要な時事解説を、目の前の事象だけサラっと解説して分かるようになるはずがないからです。
そこで、最近は「○○学科、小論文対策」などの参考書が売り出され、その学科で頻出されるお題について模範解答を載せるようになりました。教えようがないから、せめて典型的なものだけ丸暗記させないと仕方がないからです・・・当然、こんなヤケクソで発売されている参考書なんか焼け石に水状態で、何の役にも立ちません。
だって、常識と知識不足から社会の教科書読めずに一問一答を丸暗記するしかないんですよ。小論文の模範解答さえ読み切れないし、丸暗記できない。題意と趣旨を変えられればどうなる以前の問題です。「社会の学習方法は簡単です/教科書を読め!だけです」
今日の結論
語彙不足も、社会的常識の不足も、塾に放り込んで解消できるようなものではありません。入試前に魔法のような解決策があるものでもありません。今までの子育ての集大成が即席で解決できるはずなどないんです。
年齢相応の文章が読めない子供、国語や社会の教科書の内容が理解できない子供に読解力を身につけさせて上位大学の受験を・・なんてのは無理です。国語の読解力の学習以前の段階でつまずいているからです。そのつまずきは、語彙力や社会常識というそれまでの十数年の子供の人生そのもので、入試前に即席で何かを手ほどきして解決するものではないです。