フランス革命にまつわる音楽/古典主義とロマン主義の時代背景/中学生がここを学習しているもので
フランス革命前/古典主義
ハプスブルグ家の大貴族、エステルハージ家をパトロンにしていたハイドンの交響曲です。この曲はマリー・アントワネットのお気に入りだったとか?で、「王妃」という名称がついています。ハイドンでも私が好きな時期の曲です。典型的な古典主義の音楽です。
主旋律はなくアンサンブルの組み合わせや妙を楽しむ音楽です。マニア以外はあまり関心がないでしょう。だから演奏機会も少なく、動画も少ない。
因みにマリー・アントワネットはハプスブルグ家最盛期の女帝マリア・テレジアの末娘です。ハプスブルグの力を借りようとしたブルボン王朝の目論見は露と消え去るのです。
因みに、エステルハージ家の館にある音楽ホールが現存しています。ハイドンもここで自作自演しました。
フランス革命後/ロマン主義
この曲が書かれた時期にはマリー・アントワネットはこの世にはもういません。フランス革命後の混乱期、諸外国からのちょっかいを排除しフランスを安定化させたナポレオンに献呈しようとしてベートーベンが書いたのがこの曲。しかし、共和制を否定したナポレオンが皇帝に即位すると聞いて激怒したベートーベンは献呈を取りやめました。
ベートーベンは古典主義からロマン主義の移り変わりの時期に生きた音楽家です。この曲はロマン主義の扉を開いた音楽だと言われています。力強い旋律が表に出され、中間和声はアンサンブルの妙というより旋律の伴奏に徹する。第1ヴァイオリンが旋律を弾き、第2ヴァイオリンとヴィオラはリズムギターのように和声とリズムを刻みます。
音楽は音の運動性を楽しむだけではなく、強力な感情の表出と感情移入を楽しむものに変化しました。
しかし、この曲、カッコようおますなあ、英雄としか言いようがないです。手垢がつくほど演奏され、聞き飽きるくらい聞いたこの音楽でも、何回聞いても聞き惚れますわ。天才としか言いようがないです。
いくつか動画のさわりだけ見ましたが、これが一番見事でした。このレベルのフルオケにこんなアプローチされたら室内オケなんか出る幕はない。この指揮者とこのオケのコンビは素晴らしい。
関西にもこのレベルのオケが常設されたら、毎週末でも見に行きます。
因みに、ベートーベンの交響曲3番が公衆に初演された、アン・デア・ウィーン劇場
古典主義とロマン主義/貴族から市民への権力の移り変わり/
古典主義とロマン主義の音楽の違いは、主旋律を持たずに楽器のアンサンブルの組み合わせや妙を楽しむ音楽と旋律を中心にした感情的で分かりやすい音楽の差です。当然、後者のロマン主義の方が分かりやすく感情移入しやすい。ハイドンよりブラームスの方が人気があり演奏機会も多いのはこのためです。音楽の出来不出来のせいではありません。ベートーベンは、頭一つ上で、神です。この上はありません。
この移り変わりは、商工業が盛んになり、貴族から市民に力が移っていったことを反映しています。音楽家も音楽的教養のある貴族相手のビジネスから、一般市民を相手にするビジネスに変わって、分かりやすい音楽が求められたのです。貴族が技巧を楽しむ古今和歌集から、武士や商人の台頭で普通の人が物語のワクワクを楽しむ御伽草子が出てきた室町後期の日本も同じでしょう。
この古典主義音楽からロマン主義音楽への変異は、市民が力を持ち王制を倒していった市民革命の歴史でもあります。演奏場所も貴族の館から誰でも入れる音楽ホールに変わっていき、大きなホールで演奏するためにオーケストラの編成もピアノも大きくなっていきました。ヴァイオリンなどの楽器も、その演奏方法も大きく豊かな音が出るように改良されて行きました。
モーツァルトはこの流れに完全に乗り遅れて人気が凋落し惨めな晩年を過ごしました。ひと世代後のベートーベンはこの流れにうまく乗った音楽家です。この曲はホールで演奏できる規模の交響曲でロマン主義的な強烈な表出力を持ったベートーベン最初の音楽です。
因みに、交響曲なんかよりこの時期に急激に進歩したピアノの方がよく分かります。ベートーベンのピアノ曲は大きな音量が出るピアノ用に強い打鍵で感情を表現する音楽です。コロコロと玉のような音を紡ぐモーツアルトとは全く違います。
これ以後、ブラームスなどがこの流れがより強力に進め、この曲から100年後、マーラーの時代に破綻します。それまでの人間の感性に沿った手法と音楽理論では、もうやり尽くされて新しい曲が作れなくなったんです。この後、音楽はそれまでの手法と理論を否定した現代音楽に入り、難解になって行きます。市民革命後の純資本主義が一次世界大戦で破綻して、社会主義や社会権という考え方が出てきたのと似てきた流れとほぼ一緒です。