学力別の個別指導とは?/素人の誤解
学力別個別指導の前提=個人の学力別とは
今、塾には同じ学年の子供がいます。成績もとても似ています。優秀だと言っていいでしょう。この二人が別々に自分のペースで学習しているのですが、数学で質問する問題がほとんど同じです。簡単に言えば、青チャートの基本例題は簡単に突破するが、重要例題は分からなくなる。
基本例題の題意が重要例題には隠れた形で、あるいは条件設定が必要な形で埋め込まれています。その題意を把握して解けないのです。でもこれは、「神戸大学に行けるかも?」という結構上位レベルの学習のポイントです。「関関同立に行けるかも?」では基本例題も少し難しいと理解不足に陥ります。
このように、ほぼ同じ学力なら、この子供は(1)が分からないが、あっちの子供は(2)が分からないなどと言うことはまずありません。同じ学力の子供は、同じレベルの問題で分からなくなります。個性や感性の問題ではなく、思考の論理的展開のレベルが同じということが学力のレベル差です。当たり前のことです。だから、好みや指向が違う子供が同じ問題で同じような理解不足を示します。
親が分かっていない点
親は子供の個性によって教え方が違うから個別指導があるのだと思っていますが、そんなことはあまりなく、同じ学力であれば教える方法や内容はそれほど大きな差はありません。だから、子供のレベルに適した学力別の授業があり、適切に指導できる教師がいれば学校でも集団塾でも何も問題はないわけです。
私が考えるには、京大以上、阪大・神戸大、関関同立、産近甲龍という4つのクラス分けが出来ていれば、学力別にかなり適切な指導ができます。これらのレベル内だと、生徒が理解不足を示すポイントは同じだからです。
でも、多くの塾や学校では、京大と阪大・神戸大コースは同じであるか、阪大・神戸大コースと関関同立コースは同じであることが多いはずです。
でも、適切な授業を出来る教師は少ないかも知れない
ところがこのクラス分けが適切にされていたとしても、同じようなテキストで、少し難しい問題があるかないかの違いだけのテキストを、問題意識もなく最初から同じように教えていく教師がほとんどだと思います。
「キミたちなら、こんなことは分かっているよネ。でも、これはどうだろう。」と本当に生徒が分かっていないところを重点的に効率的に教えていく授業と言うのは、私はあまり聞いたことがありません。
あるいは、上のコースだと、生徒の理解を超えたむやみに難しい問題をやらせることが学校や予備校の売りになっていて、その上親切に教えもせずに理解不足だけが積み上がることも多い。これは特に特定の進学校で多いです。私はどの進学校とどの科目でそれを行っているのかをだいたい知っています。
だから適切な個別指導とは
ベテランの教師や講師なら、生徒ごとに「ここは大丈夫」「ここはつまずく」と分かっています。生徒がどのレベルでつまずくか分からないようなら、教師や講師失格です。
そこに重点的に焦点を当ててしっかりと教える効率的な指導ができるかどうかが個別指導の鍵になります。単に横について分からない問題を教えているだけでは意味がありません。
さらに、その子供の学科別の理解を見れば、この子は理系・文系のどのレベルにまで届くかなど予想はできます。「子供の個性を伸ばそう」など言っている塾はまやかしで、明確に「この子ならこの大学で文系」「こいつならここまで伸ばせるから、国立大学も可」が分かります。
どう考えても数学の学力を伸ばしようがない生徒に、いつまでも「国立大学も考えて、数学と共通テストの勉強も・・・」と言って英国に専念させるように持っていけないようではダメなのです。もちろん、子供の進路決定は塾はできません。しかし、一番良い進路を学習を教える過程で子供に思い知らせて、親にもその内容を知らせていくことは大切な仕事だとミドリゼミは考えます。
本当の意味での個別指導とは、1対1で学生アルバイトが子供につきっきりで教えるような体制を指すのではなく、その子供に応じて学力・進路面から包括的な指導を出来ることにあるのです。