才能とは?/才能の種類が産む学歴と実績の違い
才能とは21歳でこんなことができることです。天才だと思います。庄司紗耶香は、幼くしてその才能を認められ渡欧しイタリアで学んで、最難関のパガニーニ・ヴァイオリン・コンクールを最年少で優勝しました。まあ、灘中、灘高でとびっきりの成績を残して、飛び級で東大合格といったところでしょう。
10年後の彼女は?
東大を出て勤めて10年。東大卒の肩書より、「今どれだけの仕事をしているか」ということが大事になってきている年齢なんですが・・・・。
オトナの演奏の差
テツラフには幼少期の神童扱いも華々しい受賞歴はありません。若い時期に苦労して這いあがってきたみたいです。酸いも甘いも知り尽くした叩き上げでの中小企業のオヤジです。しかし、その苦労の差が、大人の音楽家になった今、これほど大きな差になって結実しています。
学歴より実績という選択は加速する、ただし新卒者の一括採用以外
大きなコンクールで優勝する若者は、先生方やお役人が「ウン」と納得する「キレイな演奏をする」優等生なんです。「オレはこうなんだ。」というような癖のある若者はコンクールで好成績を取れないんです。逆に言うと、コンクール入賞者は教えられたことは人一倍上手にできるが、自分で工夫して何かを作り上げることはできない。庄司紗耶香とテツラフを聞くとよく分かります。
日本では、未だにパガニーニやチャイコフスキー、それにショパンのネームバリューのあるコンクールがもてはやされていますが、こんな流れは80年代には終わっています。現在活躍しているソリストで、こういう大きなコンクールの入賞者は少なくなってきています。アメリカのベンチャー創業者に大学中退者が多いのと似ている気がします。自分の世界を構築し出したら、既成の大学教育など時間の無駄なんです。
だから、自分の表現方法や新しい表現手段を自分で探したい若者では有名で保守的なコンクールを敬遠するようになっているようです。お上手な演奏を大人に認められても、将来売れないのは分かっていますから。昔のようにコンクール優勝者とレコード会社が契約して、雑誌媒体などを使ってスターに祭り上げる時代は終わっているんです。聞く方も、レコードもCDも高かったし、雑誌で高く評価された演奏を買うしかできなかった。今や若手音楽家の宣伝手段はyoutubeです。そういう演奏者を拾い上げるマイナー・レーベルもいっぱいできています。
でも、新卒者の採用は、未だ学歴というコンクールで行われます。企業が欲しいのは1万人に1人の理解しがたいとびっきりの才能ではなく、組織の中で上手くやるお上手なメンバーなのです。その世代に必要な数人の天才ソリストではなく、上手で揉め事を起こさないオーケストラのメンバーです。
まあ、上のロンドン交響楽団かNHK交響楽団か、どういう組織がどういうメンバーを欲しいのにもよりますがね。お聞きになれば分かる通り、やる気を出して自分で儲けないといけない普通の企業組織と受信料で安穏としていて唯我独尊で言うことの効かない官僚組織の差が、この二つのオケにはありますから。N響も独立採算制にしたら激変すると思います。指揮者がブチ切れたり客を小馬鹿にしたような演奏はしなくなるでしょう。