クラブ活動・旭川のいじめ事件ですぐ分かる/学校の教育方針のいい加減さ

休塾中の2年間で様変わりしたクラブ活動

4年ほど前、私が目の疾患などの原因で塾を休む前、学校は「クラブ活動命」でした。

公立中学ではクラブに入っていない子供など皆無です。まるで「義務」でした。その中でも活動の激しいクラブなどは、土日、夏休みなどの長期の休みも毎日朝から晩まで。それに加えて、定期テスト前に他のクラブが休みになる期間も変らず練習。挙句の果てには、一番上手な3年生を1月の演奏会に出させるために入試直前までクラブ活動で引っ張り回すなど、子供の将来などどうなってもいいというようなことが慢性化していました。

公立高校でも、兵庫高校の文系特進コースでトップクラスの成績の生徒に「クラブになぜ入らない!」と担任教師は詰め寄りました。その生徒は「必死に頑張って、神戸大学できれば大阪大学!」と心に決めていたので「クラブはできない。勉強したい」と言っているにも関わらずです。これは、中堅校の話ではなく、公立トップ校のそれも進学クラスの話ですよ。信じられます?

でも、2年間の休養後、このクラブ第一主義はキレイになくなっていました。「教師の加重労働」などが問題になって、文科省や教育委員会がクラブ活動の規制に乗り出したからです。教員不足で労働環境を改善しないと教師の成り手がないんです。

「教師辞めてホワイト企業に就職して、リストラにあいそうになったらまた教師に戻る。教師なんかいつでも採用がある。」という教師や元教師のツィートがツイッターでは腐るほどあります。

クラブって教育じゃなかったの?

クラブが教育の一貫、文武両道っていうなら、文科省からの通達だけでそんな簡単に変更して良いんですか? 堂々と「生徒の進学を犠牲にしてでも、クラブ活動は意義がある。」って学校の先生方が続けたらいいんじゃないでしょうか?

教師の教育信念って何なんですか? 役所の通達一本でガラッと変わる教育ってなんて何なんでしょうねぇ? いつもいつも教育の自由なんて言ってるくせに。

結局「クラブ一生懸命やっても評価されなくなった。」「クラブ活動に熱心な周りの教師の目から解放された。」「やっと熱心な親に言い訳ができる。」程度の教師の都合で生徒の将来が引っ掻き回されていたってことでしかなかったんじゃないでしょうか。

まあ、昔の学校に戻りましたね/でも戻ったのは腐ったレベルですけれどもね

クラブに入らない子もいれば、熱心にやる子供もいるという、昔のまともな状態にやっと公立校は戻ったんじゃないでしょうか? 

けれども、多くの子供を犠牲にしてきて、「子供の将来を考えればこれではいけない。」と反省したからではなく、「教師の残業が・・」「採用が・・」で変わったんですから、「いじめ問題」云々以前の問題として、学校の教育など平時のことから信頼できないわけです。

いじめ問題なんかが起きても、「教師辞めてホワイト企業に就職して、リストラにあいそうになったらまた教師に戻る。教師なんかいつでも採用がある。」 というようなヤツに抑えられるはずもありませんしね。「仲のいい友達同士のプロレスごっこかと思いました。」ってヤンキーに集団で殴られ、性犯罪を受けているおとなしい生徒のいじめ事件で言い訳するんですから、教師以前に人として腐っています。

腐ったレベルの顕著な例・・あまりにも可哀そうで、これだけは見るに耐えません。

もっとも管理職からして腐ってますけどもね。生徒のわいせつ画像が拡散している状況で、「被害者より加害者10人の未来」「わいせつ動画が拡散していても、僕は怖くない」って言ったんですよ・・・ここまで恥知らずの自己保身ができるんですねぇ、人間って。まあ今ではこの教頭の顔写真が拡散しいますから。それでも、恥知らずに生きてるんですから、本当に怖くなかったのかも知れませんねぇ?

もっとも、娘のわいせつ動画を拡散された状況でこういうクズの学校を頼って子供を自殺まで放置した親御さんもどうかと正直思います。証拠はあるんだから弁護士を通して刑事事件で警察に告訴したら良かったんですよ。ついでに民事で搾り上げて犯人のガキの親だけでなく、ここの腐った教師たちも思い知らせればよかったんです。死んでから弁護士頼って「先生も教育委員会も酷い」って記者会見しても仕方ないんです。

これ、旭川だけの問題ではなく、あちらこちらで数えきれないほど繰り返されてきた問題です。

まあ、こんなだから、その辺りをある程度きちんと管理できる・生徒の将来に悪影響を及ぼさないようなクラブ活動にできる私立に生徒は流れるんだと思いますよ。「進学犠牲にしてまでクラブしろ!」って言う進学私立は流石にありませんからねぇ。いじめも多少マシに対応するでしょう。だって大ごとになってマスコミにでも突撃されたら志望者減りますからねぇ。

盛んになった中学受験では進学実績や教育内容云々以前の問題として、狂っている学校現場を避けたという親御さんもいらっしゃると思うんですよ。

日頃からこの状況をつぶさに、長年見てきた私の提言(人としてではなく塾としての提言)

こんな学校や教師が恣意的に判断できる「学習意欲」などの通知簿の評価欄や絶対評価など廃止して、テストの得点で相対評価するのが一番「まとも」な評価方法じゃないかと思うんですよ。そのテストも評価する材料としてキチンと作られているか吟味する組織を学校の外部に作ればいい。酷いテスト作る先生いますからねぇ。

・・・難問と簡単な問題に分かれていて平均点50点で最高点80点になって生徒が団子になっていて学力差で得点差がつかないかと思えば、平均点70点で90点台がクラスで10人以上でこれも生徒間で差がつかない・・・なんて、長年教師をしてきたら「この程度の問題を並べれば、デキる生徒からできない生徒まできれいに得点差がつく。」ってなことも分からないんでしょうか?

テスト作りを監督できる組織ができないんなら、進研模試にでも河合塾にでも外注すればいいんです。教師の労働時間も減るし、何より中立的な模試会社の模試に通用しない授業をする独りよがり・無能教師は排除できる。次学年に積み残しの授業をする管理能力のない教師も排除できる

公立中学の社会など積み残しがデフォルトになっています。中学2年生で学習する歴史は江戸時代の半ばまでしか終わらず、教科書半分が3年生に積み残されることさえある。3年生で明治からが芦屋や神戸のデフォルトです。一番ややこしい明治の後半から二次大戦までの歴史が3年の1学期に爆速で進み、近現代史が分からない子供が量産される。だから、中国や韓国に堂々と文句を言えない日本人が出来上がるんです。

中学3年生の公民は2学期に入ってからさらに爆速で始まる。以前はここまで酷い教師いなかったですよ。確かに歴史は学習量が多く終わらないのはもっともなんです。それに1年の地理を2年に積み残すことさえ常態化していた。で、こんなことになっているわけです。昔はせめて大正くらいまでは2年で終わっていました。役にも立たない中世の貴族社会の歴史と、実生活に直結する現代の政治経済のどっちが大切なのか教師や学校って分からないんでしょうかね?

公正なペーパーテストで人為的な影響がない偏差値評価こそ、今の学校教育で一番まともな尺度と必要な矯正機能だと思うんです。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。