ミドリゼミを生徒が辞めるとき
受験で卒業という形をとる以外で、昨年度は2名、今年度は1名辞めました。
毎月塾から出す学習報告書に学習状況をありのまま書いて「このまま塾にいても改善はしない。」と正直にお伝えすることにしています。その結果、親御さんの方から「辞めます。」という連絡を頂くことが多いです。正直、こちらから「もう無理だから辞めろ。」と言いたいときもあるのですが、親御さんの気持ちを考えて、なるべくそうはしないようにしています。
まあ、こういうことも考えた末にこちらから「辞めろ」という時は、散々注意した後なので、本人の気持ちは考えません。「子供を傷つけた。」という親御様のクレームにも耳を貸しません。毎日注意し、毎月親御さんにもお手紙をお渡ししているわけですから。
公立中学の生徒が辞めた時
昨年度辞めた公立の2名は生徒は成績も良くなく、まるっきりヤル気もなかった生徒です。この時期、当塾は生徒数が少なく、ある程度のことは覚悟して取ったのですが、やはり無理でした。
この時の経験で、やっぱり体験授業で「コイツ、アカンわ」と思った生徒は絶対に取らないようにしました。生徒数が少なくてもやせ我慢をしてでも取らないようにしました。一方で、成績が悪くても「この子はマジメに頑張ってくれそうだ。」と思う生徒で親御さんにご理解がある場合は取るようにしました「進学塾に下のクラスで入る愚かさ/公立中学の学力と入塾基準」。
この時期生徒が少なくなったのには理由があります。大手塾などがコロナ騒ぎが収まって教室を開け始めた時期と、ミドリゼミの生徒が減った時期は一致しています。コロナの時期、大手の塾や予備校は教室を閉鎖して通信授業などをやっていることが多かった。私の塾は、床面積などが基準以下で、換気などに注意して塾は開けていた。通信授業などで子供を管理できるはずがないと思っていたからです。その考えに同意して下さる方が私の塾に来てくださったが、コロナ騒ぎが収まって大手が教室を開け始めた途端生徒数は減少しました。
しかし、大手塾が再スタートし出して1年で元に戻りました。大手塾に通って、このブログに書いてあるようなことを痛感した方が戻ってこられたからです「進学校や進学塾に素晴らしい授業や進路指導があるという誤解」。
進学校の生徒が辞めた時
これは進学校の生徒が当塾を辞める場合に非常に多いパターンです。学校の課題が多く、本人の能力的も意欲的にもそれ以上の学習はできない。塾や親もそれだけでは現状を克服できないことが分かっているが、本人にそこまでの気持ちはないパターンです。もちろん塾では学校の進学実績や、どの大学に行けばどういう職業に就けるのかくどいほど言い聞かせて、頑張るように言うのですが頑張れない子が多いです「落ちこぼれる進学校の生徒の思考/中学・高校受験の塾の「宿題さえやっておけばいいだろう」から抜け出せない」。
私が見るに、もともと頭の出来はいい子供が、中学受験では塾に行かされて塾の宿題を無理やりやらされて、それで成績が良くて進学校に進んだ。けれど、進んだ進学校は自分の能力と同等かそれ以上の子供ばかりで、その中で宿題という今までの努力だけでは立ち行かないが、それ以上はヤル気がない子供がこうなります。自分から意欲を持って受験したわけでも、将来に何か計画があって頑張る礎があるわけでもないのです。かといって、目標以前の負けん気だけから頑張る衝動もない「大学受験に成功する生徒としない生徒の差/本能的なプライドと闘争心の有無/例外はただ一つ」。
進学校に進んで頭は良くても、やはり気持ちや性格の面でダメな子供は多いです。この塾のブログを読んで「進学校には進んだものの、子供のやる気が・・」という親子が良く塾に来られます。高校の数学ですでに落ちこぼれている場合は、最初から「国公立は難しいと思います。私立の文系大学でいいのなら尾引く受けします。」と申し上げることにしています「中学・高校受験であったプライドと闘争心を、なぜ大学受験で失うのか?」。
ダメな子供でも社会ではという場合・・・
この後者の頭は良いがヤル気がない子供が、将来社会に出て何らかのきっかけでやる気を出した場合、それは女性かもしれないしお金かもしれない何かは分かりませんが、成功する可能性はあると私も思います。でも、進める大学は中堅大学になるので、そういう刺激に出会う機会も少ないとは思います。
前者の箸にも棒にも引っ掛かからない場合は、この時点で無理だと思います。
大学進学で成功する生徒
もちろん、上位の国立大には、誰もかれもが努力したらいけるものではありません。少なくとも中学の学習範囲では、塾などに行かなくても、学校の授業をボケ~っと聞いていて教科書や学校の問題集で分からないところがある子供はその時点で無理です。
でも、この能力がある子供なら、あとは学習レベルより、本人の意欲や負けん気という性格的なところも大きいと思います。芦屋の場合は、ハングリー精神から「もっと良い生活をしたい」は、生徒を見る限り、難しいでしょう。