問題集を捨てる親の子供は成績が悪い
なぜ問題集を捨てるのか
スペースを節約するために、すでに使った学年の問題集や教科書を捨てる親は多いです。
まず最初に、そういう親では、入試前の時期に過去の学年の学習を復習するという考えがないのかと思います。こういう親は「入試勉強は過去問題をやったらいい」と言うのではないかと思います。もちろん、こういう親の子供のほとんどは過去問題をやろうにも基礎学力がないのですからできるはずもありません。そういう学習しか親もしてこなかったということです。ですから、子どもに適切な躾や学習指導が行われていないことが多い。
次に応用編として私が思うのは、こういう親は自分が子供の時どういうふうに学習し、どういう風に問題集を使ってきたのかということです。
問題集は問題を解くためだけにあるのではない
おそらくこういう親では問題集をやり答え合わせをしそれで学習を終えてきたのだと思います。だから問題集は解くだけのものでしかない。学年が上がれば、解き終われば、捨ててもいいわけです。
でも、まともな受験生は違います。自分が使っている問題集や参考書を必死に理解しようと解き、読み、そして講師に聞いたことや気づいたことを問題集や参考書に書き込んでいくのです。そして、その参考書や問題集は、常に手の届く範囲に置いておいて、いつでも見れるようにしておく。そうして、ボロボロに使い古された「バイブル」と呼ばれる問題集や参考書が教科ごとに1冊出来上がるわけです。
その本をパラパラめくるだけで、「何をどうしてこうなったか」、「あの問題はこうだった・・・」と、過去の学習が走馬灯のように頭の中に浮かんでくる1冊を作る。これが苦労の結晶となる「まとめのート」です「まとめノート」を作る愚行 バイブルとなる参考書を作れ」。
これがデキる生徒の本当の「まとめノート」の作り方です。だから、苦楽を共にしてきた問題集を捨てるなどあり得ない。中には中年になってもまだ捨てられずに持っている方もいらっしゃると思います。
でも子供の問題集を捨てるような親では、何か学習をまとめる必要があれば自分のノートに「まとめノート」を作っていたんだと思います。というより、問題を解く苦労が嫌だから、問題集のチャプターごとにまとめてあるものを書き写すまとめノートを作って時間を潰していたと、目の前にいる子供たちを見ていると確信します。
こういう子どもではまとめノートを別冊で用意することはなく問題集を作っている途中にまとめを書き込んでいきます。だから問題集を進めていき、そのノート一杯にに書き込んでしまったらその時点で捨てることになります。まとめても無駄になるだけです「思考と努力の跡がないノートなど無用/まとめノートなど成績不良の証」。
仮に、別冊のまとめ用ノートを持ってキチンと保管していても、子供の作るまとめノートなど、その辺の問題集のチャプターごとにまとめてあるものを書き写すだけで、それ以上のものはできない。ただの時間潰しです。問題集のまとめを色分けして書き写しているだけで、「勉強してないじゃないか1」という大人の叱責からは逃れられますから。
親もそんな学習をしてきたのだと思います。だから問題集は解くだけのものでしかない道具なのです。学年が上がれば、解き終われば捨ててもいいわけです。
こういう学習をしてきていない親が問題集を捨てる
こういう問題集の使い方の経験がない親では、問題集はそこの範囲を学校で学習したら終わり、いやな勉強の記憶しかないからさっさと捨てよう・・・しか分からないので、捨てるんです。
言い換えれば、その他全般的に子供の学習指導についても、親が訳の分からないことをしてきていることが多いわけです。
これは私の長年の塾経営からの主観的法則です。
だから、体験授業で「今まで使っていた問題集を持って来て下さい」とお願いしたとき、「捨てた」という場合で、お子さんの成績がホドホドな場合はお断りしています。デキる子供の場合、親がアレでも子供はしっかりとしていることが多いので、子供の話を聞くために体験授業をします。
ミニマリストに告ぐ
ミニマリスト的な生き方は、自分の歴史がグーグル・フォトなんかのストレージにあるからできるんだと思います。
子供では学習の記憶はストレージにない。自分が苦労を共にした本にしかないのだ。その本の書き込み、アンダーラインが学習の記憶を覚醒させるのです。
だから、私は入試会場には問題集を持って行った。テスト直前に問題集をパラパラ開くと、「アレはこうだった。この苦手な問題はこう解くんだ!」と走馬灯のように脳裏に浮かびあがる。そして「ここまでやったんだから大丈夫だ!」と自分を奮い立たせて入試に臨むのだ。
そういう経験がない親が捨てるのだと思いますよ。だから、子供の躾や学習指導も、問題集を捨てるということ以外でも、ピントがずれていることが多いと私は思っています。長年の経験からも、この思いに間違いはありません。