2学期制と教師の過重労働/荷重労働の解決は生徒と社会のためにもなる
地方では2学期制が多い?
「こういう教師どもが多くないことを祈ります/あまりにも腹が立ったもので・・・」で2学期制の公立や・国立の学校は特殊なので、割とましな教師が配置されていると私が書いた所、以下の用のご指摘を受けました。
「前期後期の二学期制、普通の公立でも入っています。うちは神奈川県の田舎ですが、二 学期制に加えて、小学校ではチャイムも鳴らしません。 二学期制にはデメリットしか感じませんが、通知表やテストの回数が減って、教員の負 荷は減るのかも。今や学校の最重要課題です。」
2学期制による教師の過重労働削減?
・・・ごめんなさい。阪神間のことを念頭に書いていいたもので・・・。でも、この2学期制による教師の過重労働削減は、キチンとした学校ではないんです。
だって、2学期制をとる阪神間のトップ校の市立西宮では、中間テストと期末テストの間が空きすぎるために、課題考査や実力テストのような形でテストを挿入していきます。トップ校の地位を保つためにはこうなるんでしょうな。
2学期制のお題目である「過重労働削減」にも「のびのびした学習」にも本末転倒です。だから、テストや通知簿をつける機会の削減には単純にならないこともあるんです。
テスト・通知簿外注すれば過重労働は解決するじゃん
それなら、塾で私が「このテストなんやねん?」と首をかしげるようなテストを作る教員もいる中、教員にテストなど作らせずにベネッセなどに外注して、答案はベネッセに送り返して偏差値と5段階評価表を作らせればいいじゃん。「テスト範囲外の問題を平気で出す公立中学/進学塾に行けない生徒を見切り始めた公立中学」を参考に読んでください。
まあ、こっちは冗談ですが、カラオケの評価も点数化できるんですから、音楽の実技や美術の絵画、体育の実技も、楽譜と音響の乖離やデッサンの正確性などでコンピュータが十分評価できる時代にあると思うんですよ。
私の提案の問題点1
でもね、この方式の問題点は2つあります。だって、文科省の指導要領に合わせてごく普通に作られるベネッセのテストに対応できる授業を教師はしないといけなくなるからです。
授業進度の遅れや、独りよがりの授業が許されなくなり、(特に英文法や国語の段落構成について)まともな授業をしなくならないといけなくなる。かなり多くの教師が、そのまともな授業を出来ないと私は踏んでいるんです。
問題点2
また、保護者からもクレームが来るでしょう。「学校が教育の場であり、人格形成の場である。だから点数だけで決めるのはおかしい。」という理屈です。
特に、人の受けがよく、クラブやクラスでも人気者あるいはキャプテンなんかを任されるという生徒を持つ親、あるいはご自分も業績以上に会社では評価を受けている親御さんは、テストだけの結果には不満を持つかもしれません。
だって、いつもは自然に手に入る「他人の相対評価」がテストでは手に入らないからです。「目標があるんなら踏ん張れよ! 他人の評価が介在しない入試なんか、君の頑張りだけでどうにでもなるんだから」の通りです。その結果今までより通知簿が悪くなる。
納得できない方は多くいる
最近では高校入試の調査書だけではなく、大学入試も指定校推薦が多くなり、学校の通知簿が以前にも増して重要視されるようになってきたので、人気者ほど私の案は納得できない方は多くおられるでしょう。
日本の場合、企業でさえ業績給に拒否反応を示すことが多く、未だに年功序列的な色彩と不明瞭な人事査定が多いのは、上に書いた人気者が日本社会では力を持って制度を決める側にいることも要因です。
私としては、正社員と非正規の格差是正、同一労働同一賃金という経済格差縮小の大一手は、正当な業績給の頒布を前提に、学校の通知簿を変えることにあると思うんですよ。
成績明確化のためにはいいと思うんですよ
ベネッセの成績表で偏差値と学年順位、それに相対評価の5段階評価がついていれば、そこから敢えて成績をいじくって通知簿をつけるのなら、生徒も保護者も納得できる理由が必要です。
今のように教師の気に入る気に入らない、あるいは人気者であるかないかで「学習の意欲や姿勢」という項目が採点されて、通知簿の評価が上がる下がるなどはなくなります。
日本の社会も、正規だから非正規だからというような、訳の分からない理屈で経済格差を是正するためには、正当な働きに応じた業績給を頒布する必要があります。そのためには、学校の通知簿の改正が第一歩だと思うんですけどね。
いずれにせよ、今の学校を見る限り、もっと相対評価を取り入れるべきだと思います
それは、教師の荷重労働低減にも、質の悪い教師排除にも、生徒が納得できる通知簿を受け取るにも、良いことだと思います。