信長と秀吉の頃/ヨーロッパと日本の美術と音楽/祝日でも塾はやってます!
最近は、この当時の音楽に嵌っています。学校ではこの当時のことは、ザビエルと南蛮貿易しか学びません。ヨーロッパではバロックと言われた時代です。因みに、尖塔が特徴的なバロック建築はこの時代ではありません。200年ほど後です。
楽器の発達が日本は遅れているように感じます。絵画の技法も同じです。日本がヨーロッパから兵器を輸入したのは、このレベル差があったからなんでしょうか? 戦国末期の猛者、信長や秀吉がいなかったら、他のアジア諸国と同様に植民地化されていたかもしれませんね。猛者がいなくなった江戸時代には鎖国に逃げ込むしかなかったんでしょう。
この後、産業革命で格差は決定的になるのですが、鎖国で300年もよくもったと思います。地理的に大陸から隔絶されていなければ、大陸伝いに簡単に植民地化されていたと思います。まあ、今は隣国があんななんですから、当時よりもっと危機だと思います。
オランダの絵画
修復したら、静謐な余韻がなくなったと話題の絵画。
隣国、ベルギーの音楽
この当時、オランダには有名な作曲家はいないんです。ベルギーも含めていない。ルーベンスやレンブラントなどの有名な画家は多いんですけれど。後も、ほとんどいないんです。
地域によって、音楽と絵画、小説と有名なジャンルが違うんですかねぇ・・・。イタリアだけは別な気がします。
イタリアでは?
4日ほど泊まった宿屋の主人が「イタリアの宝」だと言った画家です。実物見ました。祭壇の前まで行けます。どうです、殺人・傷害当たり前の半グレが描いた絵とは思えないでしょう。この他にも、この街では国立美術館にあります。
音楽も絵画も、人格が作品に反映するという通説は誤解です。
当時のイタリアの音楽
劇的なのは絵画だけではなったんですな。
スペインでは?
当時のスペインの音楽
その当時の日本
音楽?
この当時に大流行した音楽と言われている?出雲阿国の歌舞伎踊です。ホンマに当時のままかは??です。結構緻密なアンサンブルですな。日本にはベース楽器はなかったんですな。その代わり打楽器を有効に使ってますな。
この音楽と踊は、出雲大社の建て替えのための費用を捻出するために巫女などが大名や商人に出向いて出資を乞うためにしたものです。大名なんかはそんな踊と音楽が好きだったのか? 違いますよね。この後に踊り子さんとのお楽しみが待っていたからです。
この踊りとお楽しみがセットの接待は庶民の間でも大流行になり、あまりのことに業を煮やした江戸幕府が「女の歌舞伎は禁止!」としたのが今の男だけの歌舞伎の始まりです。
ちなみに、この当時に流行った感染症
この大航海時代にヨーロッパに流行ったのは音楽や美術だけではありません。新大陸から持ち帰った言われる梅毒もです。新体陸で暴虐の限りを尽くしたヨーロッパ人は、少なすぎるお土産をもらったということです。
ヨーロッパ庶民はもちろん宮廷にも急速に広まり、南蛮貿易などを通じて日本にも急速に広まりました。江戸時代の人骨を調べると、半数の江戸庶民が梅毒に感染していたらしいです・・。
因みに、背中の開いたドレスのスタイルは、梅毒のゴム腫がないことを見せるためのデザインで、セクシーに肌を見せるためではありません。日本の着物で襟が後ろに開いているのも、同じかもしれませんね。江戸時代に武士階級では急激に貞節が大切にされ出したのは、家伝相続というより、この感染症の影響だったりして・・・。