子育ての主観と客観/ラ・カンパネラから学ぶ
「育ててきた私が一番知っている」という危険
「育ててきた私が一番知っている」という自信、これはお母さん、しかも中学生くらいまでの子供をお持ちのお母さんに多いと思います。自分が今まで育ててきた愛や自負のため、他人の意見を聞き入れないお母さん、最近はお父さんまでもが多くなっています。この自信は学校の成績くらいでは揺るぎようがなく、「それは教え方が悪いからだ。」「私が知っているこの子の良い面を伸ばせば。」と常に主観が優先される方も多いです。
体験授業などでそういうお母さんと相対すると「これは手ごわいな。」と感じることもあります。
でも、その自信は子供の年齢が上がるにつれて失われます。やはり、子供も自立していきますし、盲目的に包み込んでいる愛情も変化していくのだと思います。それに加えて、いくら一生懸命育てても受験で思う通りにならなかったりして、客観的な情報や結果というものに従わざるを得なくなってくるからだと思うんです。
客観的な情報に都合よくバイアスをかける教育産業
この客観的な情報は学校のテストや塾のテストなどで多く与えられるんですが、主観を優先させる方は、この情報の意味を分析できていないのだと思います。簡単なことですから、知性の問題というより気持ちという主観の問題でバイアスをかけるのだと思うのです。
それに加えて、今のお母さんは他人のお子さんと比べることも少ない気がします。それぞれの子供に長所短所があって比べると子供を萎縮させるというのが今の教育の主流かもしれませんが、こと受験にとってはその比較こそが合否結果です。長所短所の中でも国語が得意、数学が得意というような特色はあっても、偏差値50が偏差値60より「この子の特色ですから。」と認めてくれる学校はない。
でも、そういう面倒なことを言うと偏差値50のお母さんを怒らせてしまうから、教育産業はお母さんのバイアスをうまく利用して偏差値頼みの入試でさえ「子供の個性」などと言ってきます。
そりゃあ、高校の数学が苦手な子供に「理系に行け。」「国立大学に行け。共通テストも二次も数学があるから頑張れ!」では間違った選択で子供を潰しますが、じゃあ「英語の成績まで悪いのはあなたの個性」ではいけないと思うのです。誰でも読めば理解できる文法の参考書を読みもせずに高校3年生で文法の入試問題集の解答の解説を読んでも「分からない」というのは個性ではなく、単に偏差値50の子供だと認めるしかないんです。
もっと客観的に情報を見ましょう
少し違った角度ですが、バイアスと真実が違う例をお見せします。
この二人の、リストのラ・カンパネラという有名な曲の演奏を聴いてどう感じられます? まるっきりレベルが違います。好みの問題とかそういう話ではありません。酷いことを書きますが、辻井さんが健常者ならピアノのコンクールで入賞もしていないし、もちろんプロにはなれないと、私は思います。
私たちは、辻井さんのピアノから「勇気」や「前向きの人生」など違ったものを受け取ります。それが辻井さんの個性を生かしたビジネスです。そのことは素晴らしいことで、私は批判するつもりはありません。でも、それとピアニストとしての「凄いピアニストだ」という評価は違います。でも、コンクールもレコード会社も、コンサートの主催会社も、それを飲み込んだうえで上手く辻井さんとウィンウィンの関係を築いているんです。
それが分からずに、ビジネス情報を鵜呑みにしている方がとても多い。上に書いた来たような方々です。こういう方々は、駅に置いてあるストリート・ピアノの演奏の投稿や、キレイな女性をウリにレコード会社が宣伝しているようなピアノも判断できないかもしれない。音楽ビジネスに食い物にされているのは教育ビジネスに食い物にされるのも同じです。