数学の文章問題を国語力のせいにするウソ

共通テストや公立高校の数学の入試問題は問題文が長い

なぜかお役所が作る数学のテスト問題は問題文を長くして、考える力を試そうとします。これはなぜでしょう?理由は国立大学の二次のように問題そのものを難しくするわけにいかないから、問題文を長くして誤魔化しているのです。

その上、問題数を多くして、読み取るのに時間がかかる問題で生徒を焦らせ、得点させないようにする、とてもセコイ戦法をお役所は取るわけです。申請をしてほしくないから、わざと分かりにくい書類にしている役人根性はここでも発揮されるわけです。

そこで、「国語力」と言い出す教育関係者が言います

確かに共通テストなどでは、「これは数学の問題か?」というほど長い文章の問題もあります。でも、屁理屈をこねまわして大したことでもないことを御大層に書いて煙に巻いている小林秀雄の文章のようなものではありません。公立高校の入試問題などではなおさらです。何を書いているのか分からないものなどありません。ただ長いので、焦って読む受験生はしっかりと読めないだけです。

私からしたら、大学受験生で中学生並、高校受験生で小学生並みの語彙力がないほどの場合は除いて、国語力の問題ではないように思います。これを国語力の問題だという教育関係者や塾がいます。なぜでしょう?

理由1:題意を把握させる数学の学習ができないから

こういう数学の長い文章を読むとき、共通テストなどでは導入式などが示されている中で読むとき、成績優秀な受験生はどういうふうに読むでしょう? 当然「何の問題で、何を聞いているのか?」と出題意図=題意を考えながら読むわけです。そのためには、数学の学力が必要なわけです。

各分野ごとに何が聞かれるか、どういうふうな考え方が根底にあるのか? それが分かっているから、こういう面倒な文章で聞かれているポイントが分かり、解いていけるのです。単に文章を読んで「さてさて、どうしましょう?」などと考えているわけではありません。頭の中で公式や基本問題の解法をフル回転させながら、「どの問題だ?」と考えているのです。

しかし、偏差値50台の生徒には、この頭をフル回転させる数学の基礎学力がありません。そして、そんな基礎学力を教えて頭ををフル回転できるのは、公立中学では通知簿が4で並んでいる生徒以上、高校生では進研模試で偏差値65以上の生徒のみです。だから、多くの生徒は数学を教えても解決しません。

だから、国語力の問題にすり替えているとしか私には思えません。

理由2:特別授業でお金が取れる

それに数学の成績を上げるのに数学の学習が必要なら、塾は別料金を取れません。でも「数学の学習に国語が必要。」だと目新しいことを言って親の目を引けば新しい授業を売り込めるとしか思えないんですよ。

でもね、国語=現代国語というのは、低レベルではその学年までの膨大な社会知識や語彙力の不足を塾で埋めるムリゲー、高レベルでは作者の意図と段落構成という不明瞭な論理構成を腹に落ちるまで納得させて自分で解けるようにするそもそもキャパシティーオーバーを求めるムリゲーが分かっているから、多くの場合授業をしても成績は上がらないのです。だから、多くの塾で国語の授業が少ないのは、そんなムリゲーをするくらいなら、計算問題を教えたら少なくとも2~3問はテストで解けるようにはなる数学の授業をする方がましなからです。

その国語を語彙能力や段落構成とは無縁な簡単な数学の文章題で教える授業を組んで、実は数学を教えて小問の2~3問でも解けるようにするというフェイクだと思うのです。

結論:問題慣れさえすれば数学の問題

確かに文章量が多い問題はテストで焦って題意を汲み取れないかもしれません。しかしそれは国語力の問題ではなく、数学の基礎学力とそういう問題で時間をマネージメントする慣れの問題です。

だから、共通テストや公立高校の入試問題は過去問をする必要があります。それも1年や2年ではなく、数年分センター入試の頃も含めて「長い問題を解く。」経験を積む必要があります。問題の傾向などとは違って、長い問題の対処のためです。

これは、問題は簡単ではあるが数が多く文章も長い国語も英語も同じです。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。