ミドリゼミはベテラン講師が個々の子供を直接指導する塾です
教育現場には子供が頼れる大人・子供の面倒を見る大人がいない
学校や集団塾では、学校のペースで先生は決められたことを教えるだけです。先生が一人一人の子供にコミットしていることはありません。面談も1学期に20分ほどのもので、たいていは形成期的なものです。
先生の面談と言っても、先生にとって生徒個人は板書している前に座っている何十人の中の一人で、各々の生徒が何をどうして今の状態になっているのかまで把握していることはありません。自分が教えている教科でもそうなのですから、他の教科など全く分かっていませんん。そこで、成績表や模試の偏差値を見て、形式的な話をされるだけです。そんなことは別に先生の話を聞くまでもなく、誰にでも分かることです。
要するに、型通りに学習を教えてもらう場なだけで、子供と先生の直接的なコミニケションはほぼないわけです。だから、子供は「どういうふうに勉強したらいいのか」から「自分の勉強のどこに問題があるのか」まで誰にも教えてもらえずに放り出されています。この放置によって、間違った学習方法や学習スケジュールで失敗する生徒は、ここの問題の解き方が分からない生徒より多いものです。間違った学習で問題の解き方が分からないのですから、「データではこの分野が出来ていない」など言われても、生徒は問題だらけの学習でもう一度復習するだけで何の解決にもなりません。
この状態を何とかするため個別指導が生まれたが・・
だから、子供の各教科について、子供の状況や学力を観察しながら直接アドバイスできる人間が必要なわけです。それで誕生したのが個別指導です。ところが、この個別指導は生徒に先生がベッタリと寄り添うわけですから、先生の時間を個人が拘束することになりとてつもなく費用がかかります。だから、多くの個別指導は学生アルバイトなど主流です。
この学生のアルバイトに子供は指導できるんでしょうか? 所詮アルバイトですし、多くの生徒を教えた経験もありませんし、その経験から学ぶ適性があるかどうかも分からない若者が教えています。多くの個別指導の教師は自分の学習体験しか分からないような状態なわけです。ということは、大阪大学の学生が甲南大学に進むような能力や努力の子供の適性を理解していない状態で教えていることになります。逆に関西学院の学生は、大阪大学に進むのに必要なスケジュールや努力を理解していないことになります。そして、そういう状態でたまに面談をするのは、自分で教えたこともなく教室の管理だけをしているフランチャイズオーナーのような教室長なわけです。偏差値の数字だけを見て、本部から送られてきたデータをしゃべるだけしかできません。
個別指導というのは家庭教師を駅前のビルに移しただけで、子供のマネジメントという面では、ほぼ何もできないのです。
子供を丸抱えで面倒を見る塾が必要ではないか?
ミドリゼミの着眼点はここにあります。一人一人の子供で全教科の学力や問題点を理解している人間が、その子供の学習の方法から受験までのスケジュールをアドバイス・管理することが必要なのではないかということです。
そこで展開しているのが、少人数制による集団方式の個別指導です。私が全教科子供を教え子供を毎日教えます。それが出来る範囲の人数しか生徒は取りません。私が個人の個人の子供の各教科で、今学校では何をしているのか、そして何が出来ていないのか、どのようなレベルにあるのかを把握している状態で、総合的な判断から日々今は何を学習したらいいのか生徒と相談し支持します。その上で、その子供に最適な進路をアドバイスし、受験までのスケジュールを組んでいきます。
子供にとっては、毎学年・毎日が新しい体験で、その解決の経験はありません。だから、学習内容を教えることとはただ解き方を教わるだけでなく、その解決方法を相談しアドバイスしてもらう場所が必要だと思うのです「ミドリゼミの特徴/大人が子供の面倒を全面的に見てお預かりすること」「中学・高校こそ必要なチューター/ミドリゼミはプロのチューターでありたい」。
これは親にしても同じです
親御さんと話をしていると、子供の現状や進路で全く見当はずれなことを言っている方は結構います。親との間で問題を起こしたくない教師や学校が口当たりのいいことをその場しのぎでしか話してこなかったっからです。教師は1年間の担当を過ぎれば関係ないですし、塾や学校も受験後は卒業するのですから、問題として抱え込むことはないからです。マスメディアも、親御さんがうれしく楽しい情報を垂れ流します。そうでないと見てもらえないし買ってもらえないからです。だから「褒めて育てる」というような話ばかりです。
親の方も、テストの答案を見ることもなく現状を把握しないままそういう情報を丸呑みにしています。例えば公立中学では漢字も単語もおぼえていないような生徒が60点を取り通知簿で3がつきます。親にしたらよくはないが普通だと思っているわけです。その親は60点・通知簿3だけしか知らずに、「漢字も出来ていない」状況を把握していないからです。ご自分の経験から漢字も書けない子供に通知簿3がつくなんて思ってないからです。芦屋では中学受験で成績の良い生徒がゴッソリ抜けた後の公立中学で甘々の絶対評価であることが分かっていないからです。だから、「勉強法を教えてもらえれば、うちの子も・・」と塾に連れてきても無意味です。問題は勉強方法ではなく、テスト前に漢字をおぼえる気もない性根になるのですから「中学生の親がすべきこと/テストの点数だけではなく答案を見る」。
一方、中学受験でソコソコの進学校に進ませた親も同じです。イメージだけで「進学校=神戸大学くらいは・・」と思っている方が多い。神戸高校や3番手くらいの中学受験私立では実際は上位2~3割でやっと神戸大学で、何とかその進学校に滑り込んだ自分の子供は産近甲龍だとはお分かりになっていいない。進学校や進学コースが山ほどできて、少子化で減った子供が分散しているから、昔ほどの進学実績はソコソコの進学校ではないのです。
もしお分かりになっていても「じゃあ追い抜けばいい」とお考えになる。それは、少子化して分散している子供が進むソコソコの進学校では、昔ながらの学力を維持している上位の生徒と昔なら他の学校に進んでいた下位の生徒の学力差が別の学校かくらい大きく、追い抜ける状況になどないことをお分かりになっていないからです。
そこで「じゃあ、頑張りましょうか。」など言う塾に連れて行っても無意味です。現実的な進路と、それに沿った学習を提案し、落ちこぼれている数学など切り捨てて英国社で関学を目指す指導をする塾が必要なわけです。でも、そういう親に「神戸大学なんか数学がこの状態では無理です。上限関学の文系。そのプランに沿って学習せず、今のまま全教科漫然と学習していると産近甲龍になる。」なんか言ったら、その塾には来てくれないでしょう「国立大学志望に見切りをつける最後のチャンス/高校2年の秋」。
こういう状況は、もちろん学校では言いませんし、面と向かって嫌なことを言って「現実的に考えましょう」なんて言ってわざわざトラブルを起こす塾問題でしょう。でも、そういう場所が必要だと私は思っています。そういう場所が欲しいと思っている方は、ミドリゼミに来てください「塾のセカンドオピニオン/このブログはそのために書いています」。