おしゃれな優等生は当たり前/オリンピックから考える
アスリートの変化
昭和の時代は運動選手などファッションに気を使えば断罪されていました。「アイツは他の方に神経を使っている。真剣に取り組んでいない!」と言われたんです。
ところが、最近の女性選手なんかはおしゃれで、化粧までして競技をしています。運動で鍛えられてスタイルがいいのと相まって、タレント並みの選手までいます。また、最近はそういう選手を「カワイイ~」「キレイ!」と褒めたたえます。
この20年ほどで、運動選手に対する我々のイメージは正反対になりました。
優等生も変化
同じように成績の良い生徒の服装も変化しました。
「私の経験から、服も親に買ってもらい、おしゃれにも気を使わない子供っぽい生徒の成績が良いことはまずありません。人間の発育は勉強だけ優位に働くようには出来ていないんです。成長過程の子供に理解力以上のことをいくら押し付けても無意味です。」と私がツィートしたところ、
「私の時とは時代が変わったんだなぁという感想。学ランの肩にフケが溜まってても気にしない、と揶揄されてたトップ高の時代。」というリツィートがあったんです。年配の方はそう思われるでしょう。
けれど、今や、登校日のない夏休み期間にネイルに挑戦する女子高生など「当たり前」です。髪型やファッションに気を使う男子生徒も普通。年齢相応の脳の発育をしていないファッションに無頓着な子供では、勉強だけ理解できるようにはならない。もちろん、よほど偏屈だったり、オタクだったり、学習障害があるほど理数系の天才は別です。
変化の理由
私は、昭和や平成初期の時代は「上昇志向に役に立たないことは認められなかった。」社会風潮があったんじゃないかと思うんです。だから、勉強するにしても、スポーツするにしても、他のことに目を向けることは非難された。
あの時代は、進学校や一流大学に進んだ若者はアイドルやタレントなどを 「ヘタな歌を歌い、バカをやっている生産性のない奴ら。」 と下に見ていた感性とも一致するんじゃないかと思うんですよね。
だって、ヘタな芸で消費されるそう美人でもないアイドルなんて、上昇志向からは対極の存在だったんです。だから芸能人なんかで大金を稼いでる人間を羨ましいなどとも思わなかった。一流企業で社宅暮らしのサラリーマンの方が上に見えた。
けれど、今や真逆です。アイドルの成功者>有名大卒・一流企業勤務
実質を見る世の中になった
今や、稼いで、人生エンジョイしたもん勝ちなんです。東大出て年収1千万円より、再生回数100万回で1億稼ぐ高卒ユーチューバーの方がエライんです。芸能界でポルシェに乗って青山のマンションに住んでいる方が、カローラに乗って通勤時間1時間のさいたま市に住んでいるエリートサラリーマンよりエライ。
まあ、当たり前のことが当たり前になったんです。その結果、おしゃれにも、勉強にも、こじらせた意識も同調圧力もなくなった。世の中、成熟してまともになった。これがおしゃれなスポーツ選手や優等生の出現なんかじゃないかと思うんです。あるいは中流が没落して、「武士は食わねど高楊枝」なんか言っていられなくなり、拝金主義が第一義になった。
大昔にアイドルをバカにしていた私でさえ、「おしゃれも出来ん発育の遅れた子供が、勉強だけ発育するなどあり得ない。」と今では思いますもん。「女子中学生への暴言/「服は選べて数学はでけへんって、どういうことやねん!」」「成績の良い生徒のバロメーター/発育の度合いを見る」の通りです。
けど、ヤンキー・ヒップホップ系おしゃれは拒絶します
塾長が生理的に拒絶反応があるためです。気分を害してまで教える気はないです。
「外見はアレですけど、いい子なんです。」ってのも拒否します。そんな子供見たことがありません。 そんなこと思っているのは親だけです。 目つきに全て出ます。
8月29日、このコロナ爆発の時期に、こんなヒップホップ系の催しがあったそうです。こんな奴らが多いから、生理的に嫌いなんです。