成績が悪い生徒のノート/中学生でこういうノートだったらもう無理です/公立中学なら半数近くいます
何が書いてあるのか分からない/式を書かない
子供らしい、あるいは理系でよくある字が汚いから読みにくいというのとは異なります。英語でこういう文法だからこう訳した、数学でこう式を作って、こう計算して、こういう答えを出した、というようなことがまるっきり分からないノートを作る生徒です。その多くでは、シャーペンの上の方を持ってヘロヘロと書いて、薄い字で何が書いてあるのか分からないノートを作ります。あるいは、改行をせずに文章や解答、式を書いて、何が何だか分からないことになります。
要するに、「こう考えてこう解いた。これで正解か間違いか。」という思考回路がまったくないんです。あるいは、無理やり勉強をやらされ、面倒くさいから、あるいはキチンと式を書いたらかえって間違いを指摘されるから、わざと訳の分からないノートを作るんです。
もちろん、ミドリゼミではこういう生徒にも、「自分がどう考えて問題を解いたのか見直せるように書け。」と執拗に指導をして矯正していきます。ノートの書き方は思考回路と同じだからです。
でもこういう子供の矯正は限りなく難しい
でも、その思考回路の通り、「やっとマシになってきたか」とこちらが少しでも手を抜くと元の木阿弥になっていきます。性根の根っこからダメなんです。あるいは、考えることが分かっていない。際限なく躾けをしないといけないバカ犬ワンちゃんかと思いますよ。
本当に際限なく同じことを繰り返してきます。単語を一語一語教え、文法を教え、文法の問題集をやらせ、教科書を和英訳させ、準拠問題集を解かせ、テスト前に再度教科書和英訳を復習し、文法を復習し、それで教科書の新出単語テストで全滅に近いことしてきますから、どう教えても無理です。
コイツ等をシャンとさせるには恐怖しかない
でもね、コイツ等のほとんどは学習障害でも何でもないんです。なぜか? 3年生の冬にわずか1カ月半ですべて克服するからです。
この調子で中学3年生のこの時期、冬休みの前まで脳ミソが癒着した状態で移行し、最終の面談で学校から「その志望校ムリッス。」と最終宣告されることになります。それでワンランク、ツーランク下げた滑り止め、あるいは本命の私立高校の過去問題を冬休みにでも始めるわけです。当然、合格点なんか取れません。
そでこ初めて「ヤバい」と思うわけです。それから私立高校入試までの1ヶ月半ほどで、2年半以上「できない、おぼえられない、難しい、勉強の仕方が分からない」と言ってきたことのほぼすべてを克服して、基本問題から多少の応用問題まで解けるようになります。たった1ヶ月半です。こうしてテスト当日、こういう子供が取れる点数が中堅私立高校以下の高校の合格点になっているのです「中学3年の冬休みまで本気を出さない子供たちの将来」。
コイツ等にとって、頭を動かす・考えるということはとんでもなく労力がいることなんです。そんなことをしたことがないから、まったくトレーニングされていない。今まで8年間引きこもりをやってヒョロヒョロの足になっている子供に持久走をやれと言っているに等しい。だから、「このままでは行く高校がない。」レベルの恐怖がないと絶対にやりません。親や塾が叱るくらいでは無理です。
この仕事をやるようになって分かったこと
中学生になると、デキる子はデキる子同士で仲間を組み、上に描いたような子供とは表面的な付き合いしかしません。高校・大学・社会人になると、学校でも職場でもそんな人間は見たこともなくなります。だから、エリートのお父さんなど、自分の子供のことがまったく理解できなくなります。どの塾に行かせようと、誰が教えようと、普通の方法ではコイツ等を矯正するのは難しいなんて、理解の外になるのです。
でも、この仕事を始めて、こういう子供に多く接するようになって、初めて私は戸塚ヨットスクールの取り組みが何だかわかるような気がしてきました。昔のアソコのやり方は、ヨットで海に連れ出して怠けていたら小突き回して海に落として恐怖を味合わせるものです。「ここにいたらヤバい。殺される。」という恐怖しか、こういう子供を変える手段はないというのがあのスクールの方針ではないかと思うのです。まあ、いいか悪いかは別にして、私にも「アイツ等矯正するには、そらそうかも知れんな。」と思うところはあるわけです「真剣な学習ができない子供たち/大人の通過儀礼が必要なのか?」。
これと同じような手法は世界のいたるところにあります。例えば、軍隊。日本の警察や消防学校もそうかもしれません。あるいは、未開の地のによくある「大人への通過儀礼」というやつです。高いところから飛び降りたりライオンを狩ってきたりするアレです。
こういう子供に対しては、まっとうな教育的手法などクソの役にも立たない。でも、それは少数ではなく、公立中学なら半数近くいる。