塾の指導でいちばん大切なこと2/穴の空いたバケツの修理
繰り返し、根気よくは無意味
昨日も書いた、「考える事が分からない」子供に「考えさせる」ことは、とても難しいことだと思います。多くの場合無理です。「考える」という壁の向こう側がわからない子供に、何度根気よく「考え方」を教えても、「解き方」を教えても、成功することはありません。だって、「考えること」がわからない子供ができる努力は、解答と解法丸暗記しかないんですから。
だから、進学塾はバカげた量の宿題を出して反復学習をさせるんです。まあ、何度憶えても、丸暗記なんかすぐに忘れるので無駄なんですが、それでもこのクラスの生徒に「考えること」を身に着けさせて解けるようにさせることより効率的だと判断しているんです。
私の結論は、繰り返し「考える事」を教えても、「丸暗記」させても無意味だと言うことです。だから、こういう子供の親御さんは、あっちの塾でダメならこっちの塾ということになるんですが、どこに行っても同じだと思います。
じゃあ、どうすればいい?
じゃあ、こういう子供は、なぜこういう体たらくになって、バカげた成績を取ってきてものほほんとしているのか? そして、繰り返し怒られても、またのほほんとして失敗を繰り返すのか?
それは、失敗を失敗だと思っていないからです。親に怒られると、その場では反省をしたふりをしてやり過ごしているだけだからです。感情的に怒っている親の怒りなどすぐに納まると高をくくっているんです。今まで何度もそうしてきたんですから。
塾に放り込まれても、ボ~っと机に座って問題を解くだけで何も新しいことを学ばず、毎回同じような点数を取ってくるだけです。そんな子供に、怒っても怒る側が消耗するだけです。塾の授業料も無駄金になるだけです
結論は唯一つ。「エライことになった。」と失敗を失敗として認識させればいいだけです。
なんでこんな事を言うのか?
それは、毎年毎年、バカげた繰り返しを見て来たからです。
中学1年生、イヤ小学校の頃から、バカげた基本問題を繰り返し間違え、社会なんかを「おぼえられない」とのたまう生徒が、志望校を下げられ、中学3年生の冬休みに不本意な志望校の過去問題を解き始め、合格点に到達しないことを知る。そこで、始めて「エライことになった。」と子供は身にしみます。
それで、1月から私立入試の2月の半ばまでのたった一ヶ月半で、それまで3年間出来ない・おぼえられないと行ってきた事をすべてマスターし、合格点を取って受かってきます。併願の私立受験で落ちる生徒などほとんどいません。「できない」「おぼえらない」わけでも「教え方がヘタ」なわけでもないんです。ただただヤル気がなかっただけなんです。成績の上がらない生徒など、ほんの少数の「本当の」学習障害の子供を除いて、9割以上はそんなんもんです。それを、金儲けのために評論家や精神科医は「学習障害」などと言う重要な言葉を安易にばらまく。昔、親や教師から厳しくしつけされていた時代に、そんな大量の学習障害の子供いましたか?私は、「なまけもの」の定義を金儲けのために利用したに過ぎないと思っています。本当に学習障害で困っている方を揶揄していませんよ。
毎年、私はこのバカげた有様を見てきたわけです。だから、私の結論は子供に「エライことになった。」と思い知らせることが、子供の理解力と成績の向上を引き出すために一番必要なことだと確信しています。百の理屈説教より、たった一つの目に見える実利を目の前に突き出すことです。いくら「将来が・・・」と言っても分からないんですから。
だから、この塾の指導は子供に対してではなく、親御様に対してのことです。