イーロン・マスクと岡田斗司夫が見る将来/教育業界のSDGsとポリコレは続くのか?

岡田斗司夫が見る将来/ホワイト革命・評価経済社会

岡田斗司夫は「いい人」が勝つという将来像を描いています。ここで言ういい人とは「正義感がある」という意味とは関係がなく、表面上いい人を演じられるということです。岡田斗司夫の人間観察では、人間は他人にAI並みの知力しかないと判断しているからです。

AIというのは、単語の差別用語や映像だけを見て判断します。「バカ」という単語を見つければ、それがどういう意図と文脈の中で書かれたか判断せずに「この単語を使うヤツは悪もの。アカウントバン。」という判断を下します。高須幹也という高須クリニックの息子さんが解説のため手術場面の動画をyoutubeにアップしたところ、「血が流れている」という映像の判断から「暴力的コンテンツ」として動画が削除されることがありました。

岡田斗司夫は、人間関係では相手は表面しか見ていないのだから、同調し、いい人を演じていないとこのAIシステムと同様に集団から排除されると言います。この塾のブログのように「いやいや、お母さん、教育ビジネスの親を喜ばせて金を分捕ろうとしているそんなお話に乗ってると、痛い目にあいますよ。」なんか厳禁なわけです。

岡田斗司夫は、将来AIがコンピューターネットワーク上のあらゆる投稿や書き込み、それだけではなくツイッターの「いいね」のポチッまで探し出して人物判定をして、入社試験や昇進に使われるから、あらゆる場面でいい人を演じなければいけないと言っています。要するに、AIを使うリクルート会社が中国共産党の監視セクションみたいになると言っています。

この岡田斗司夫の判断の根源

彼がこう考えるのは、よく接するIT系の企業の採用基準によるものだそうです。そういう企業の若手・中堅社員ではイヤな奴はおらず、みんな小綺麗な服装をして、さわやかで、絵にかいたような好人物だというのです。この採用基準は「Good natured person」として、アメリカのトップIT企業でも採用されていると言います。

要するに、外注やらフリーラスが増えて能力がいる仕事は会社外に投げればいいので、組織内はお互い嫌な気分をせずに働ける環境のほうが良いということらしいです。ところが、こういう人物は「コイツ、役に立たんわ。」と判断すると、見事に手を引くとも書いています。要するに、昔の日本的な「和」ではなく、現代風のもっと浅い差し障りのない「和」が世間を覆っていると言っているのです。

ここまで読んで、「そんな上っ面だけ生き抜けるか」と皆さん思われるでしょう。私もそう思います。これは、岡田斗司夫が相対する成長分野であるIT業界で、その中でも寡占的な地位を占めて簡単に利益を独占できる立場にある企業への感想です。いわば、昭和や平成の初期に絶大な経営的優位性を保った日本で、仕事の能力より組織の和を重視したのと似た面があります。

その結果、日本の旧来の大企業は泥船化して、今のような体たらくになったわけですがね。

ところが、今どうなっているか?

和を重んじていい人を採用してきた独占的強者のアメリカのIT企業でも、コロナバブルや巣ごもり特需が終わり、政府も財政拡大政策にストップをかけ、利益は今まで通りとはいかなくなってきています。「夢いっぱいの業界でみんな楽しく働けるいい人」で大量採用してきたAI分野などでのリストラが1万人単位で始まっています。「Good natured person」などと言っていた業界が「夢だけ、いい人だけでメシが食えるか。」と急旋回しだしたのです。

その代表格がイーロン・マスクで、利益率が落ちてもなお今のいい人の代名詞でもある「SDGs」「ポリコレ」にこだわり、自分たちいい人に心地よくない投稿をするアカウントを凍結することにつぎ込んでいた莫大な予算を削減し、そこにかかわっていた人員を全員解雇しました。このことは外野のいい人たちからは総攻撃を受けていますし、私のような人間からは「編集権がないから訴訟も受け入れられないとほざいていたSNS会社が、やっと中立に戻った。」と言われています。

いい人相手に商売をしている企業のスポンサーが離れているとも聞いていますが、マスクにしたらアメリカの経済の変調でポリコレやSDGs好きのスポンサーでは食っていけなくなったということかもしれません。日本のIT企業でも成長を謳歌する時期が過ぎれば、岡田斗司夫の言う「いい人」だけの組織ではすまなくなってくるのではないかと思います。でないと日本の旧来の大企業と同じ轍を踏むからです。

学習業界も同じです/いい人の情報だけで安心していると、入試という試練で現実を知らされます

子育てや学校選び、塾選びは、時間的制約と子供の成長があり、取り返しがつかないものです。IT企業のように、「ヤバくなってからリストラすればいいんじゃね?」ではすみません。気が付いた時には受験が目前に迫っていてどうにもならなくなっているのです。

ところが、受験などまだ先で心地よいポリコレ情報を好む親や子供に進学校や進学塾では、「問題ありませんよ~。今からでも、いつからでも、まだ間に合います。偏差値30から70です!」とおっしゃって集客します。その結果、受験を目前に控えた時期に、親子は現実に直面することになります。でも、そういうあり方に警告を出している私のブログはどう受け取られているんでしょう?「進学校の授業の一例を紹介/こういうところに進んで自ら行こうとしてるですよ?」「進学校とはどういうところか?/優秀な生徒を搔き集め、チャート式も理解させられず多くは関関同立で精一杯、そういうところです」「進学校や進学塾への誤解/何度も書いてきたことですが・・・」「浪人に悩む親/進学校で想像以上に浪人が多い背景」「進学校に進んで、4年半も高校の学習をして、なぜ多くの生徒は関西学院大学にも合格できないのか?

公立校では、上半分の生徒が私立に逃げた後で、漢字を覚える努力も嫌い基礎学力もない生徒に「頑張ってね~」とお茶を濁すことしかできなくなっています。だって、「お宅のお子さん、漢字おぼえることもできない。」など言えば、散々自分たちが甘やかし放置してきた子供を前に「それは学校の指導が悪いんじゃないですか?何とかしなさいよ!」とブーメランを食らうからです。「公立中学生の親御さんが決定的に勘違いしているお子さんの学力/そしてその生徒が高校生になる」「公立中学の下半分の落ちこぼれ感が加速している/落ちこぼれた生徒の見分け方

いい人化の最後の牙城「学歴差別なし」

・・と言うことで、心地よい情報ばかりに接していて、気が付けば受験目前で偏差値30は30のままで、「こんな大学しか行けない。」と真っ青になる。そこで、「今の企業は学歴差別なんかしませんよ!どの学部に行って何を学ぶかが重要です。」という必殺技を塾も学校も繰り出すわけです。親の方も自分の会社の新入社員の学歴などとは別枠で自分の子供の採用枠はあると脳内改造を行う。

ところが、消費者に嫌われないように「学歴差別なし」などの表面的な心地よい情報を流す企業でも、学歴格差や能力格差が広がった昨今ますます大学名での選別を強めています。先日、神戸で就職したいという高校生と、神戸に本社がある外資系の世界最大手食品メーカーと家庭用品メーカーを調べたところ、ネット上では「学歴差別なし」と書かれてあった情報の横に「採用大学:慶應・東京・京都・大坂・神戸・・・」と書かれてあるのを見て、生徒と大笑いしましたよ。

岡田斗司夫の言うように、「頑張りましょ~」「誰でも可能性があります。」「好きなことをしていればいいんです!」的な教育業界ののSDGsとポリコレに浸っているだけでいいのでしょうか? 景気の良い時は中堅大学でも就職はありますが、ひとたび悪化すると厳しい就職状況になることはみなさんご存じのとおりです。でも、我が子に対してだけは「人柄」などと言うポリコレがまかり通る。岡田斗司夫はそこをうまく突いているんじゃないかと思うんですよ。

だって、実務の能力が測れない新卒なら「学歴」でまず判断し、その上で「人柄」であり、その逆はない。実務能力がない日和見を取っても役に立たないということはお父さんが一番ご存じのはずが、自分の子供だけは別枠だと思ってらっしゃる。そこを教育業界もうまく突いて心地よい情報を流して集客するわけです。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。