進路学習指導と子供の躾を遺伝子と文化から考察する/公の場で泣き散らかす日本の子供と落ち着いている欧米の子供
欧米に行くと、私は「どうして欧米の子供たちはあんなに静かに親の後ろを歩いているのに、日本の子供はあちこち走り回ったり、ぐずったりするんだろう?」とよく不思議に思います(除;イタリア、スペイン)。
「日本の親のしつけが甘いから?」 いいえ、実はこれ、教育論ではなく「遺伝子」と「文化の文法」で説明ができる面白い現象なのです。そして遺伝子の差が大きい。
遺伝子の差だから、躾前の赤ちゃんでも同様のことが起こります。飛行機が揺れると、際限なく長時間ギャン泣きするのは日本人の赤ちゃんです。欧米の白人の赤ちゃんも泣きますが、親がなだめるとすぐに泣き止みます。
今日は、脳内の神経伝達物質「セロトニン」のお話から、日米のしつけの違い、そしてなぜか「犬の散歩」にまでつながる、子供への目線のヒントをお届けします。
1. 遺伝子が仕掛ける「不安」と「鈍感さ」のギャップ
まず、脳内で安心感やメンタルの安定を司る「セロトニン」という物質があるのは皆さんもご存じでしょう。このセロトニンの効率を決める遺伝子(セロトニントランスポーター遺伝子)には、大きく分けて「S型(慎重・不安を感じやすい)」と「L型(楽観的・動じない)」があります。
実は、私たち日本人の約8割がこの「S型」を持っていると言われています。逆に、欧米人は「L型」を持つ割合が非常に高いのです。
- 欧米人(L型優位): 生まれつき不安を感じにくく、環境に対して「良い意味で鈍感」。彼らの周囲の目を気にしない行動は自己中心的だからなのではなく、周りの目を過剰に気にしない、子供の心も安定していて公の場でも落ち着いているという遺伝的な性質が大きい。
- 日本人(S型優位): 感受性が強く、環境の変化や刺激に対して非常に敏感。だから幼児が公の場といういつもと違う空間に行くと、興奮して暴れたりぐずったりしやすくなります。
「静かな欧米の子」と「大騒ぎする日本の子」。そのスタートラインは、遺伝子レベルでの「刺激への鈍感さ・敏感さ」の違いにあるのです。
2. キリスト教文化が生む「自立のしつけ」と「レストランの子供禁止」
この遺伝子的なベースの上に、それぞれの「文化・宗教の文法」が乗っかります。
欧米の根底にあるのは「キリスト教文化」です。この文化では、子供は「親の所有物」ではなく、「神から預かった、生まれながらに独立した一人の人間(個)」として捉えられます。そのため、しつけのゴールはどこまでも「自立」です。
この違いは、子供を「叱るときの目線の高さ」、そして「社会のルール」にハッキリと現れます。
- 欧米の文法(大人の目線と、厳格な「公私の区別」): 欧米の親が子供を叱るとき、大人の目線の高さのまま、あるいは子供の目をじっと冷徹に見据えて、毅然とした態度(NO)を突きつけます。これは親が「神の絶対的なルール」を代弁し、未熟な子供を導いているというサインです。また、この「子供は未熟である」という前提があるからこそ、欧米では、「夜のレストランは子供禁止」も多い。社会全体が「大人の社交場(公の場)に、まだセルフコントロールができない未熟な子供を連れてこないのは当然のルール」として受容しています。そこに「子育ての苦労も分かっていない。私たちも息抜きがしたい。」という怒りは生まれない、あるいは社会的に押さえつけられます。「子供は未熟だから大人の場所にはまだ早い」という共通認識があるからこそ、こうした割り切りが可能なのです。
- 日本の文法(純真無垢・寄り添い) 一方、日本には古くから「七歳までは神のうち」という言葉があるように、子供を「生まれながらに純真無垢で、完璧な存在」として捉える文化があります。そのため、子供を社会全体で温かく見守り、叱るときも子供の目線の高さまでしゃがみ込んで「どうしたの?」と感情に寄り添い、なだめることから始めます。子供が「敏感で不安になりやすい(S型)」のを知っているからこその優しさです。もう一つ加えれば、親の方も厳しく叱れば子供に嫌われたくなるのではないか?という不安があるからです。これが時に「公のルール」を曖昧にし、公共の場で周りに甘えさせてしまう原因にもなります。だから、母親の「子育ての苦労も分かっていない。私たちも息抜きがしたい。」という主張を否定するのは社会的に難しくなる。
3. 同じ「文法」で語れる、犬の散歩の風景
この「自立とルールの欧米(キリスト教流)」vs「寄り添いと感情の日本」という文法は、実は「犬の散歩」を見ても全く同じ構図が見て取れます。
- 欧米の犬の散歩(コントロール型): 欧米の散歩では、犬は飼い主の真横(ヒールポジション)を、リードをたるませた状態でピシッと歩いています。人間が絶対的なリーダーであり、犬を「コントロールすべき対象」として主従関係とルールを明確に教え込むからです。これは、大人の目線から「レストランのルール」や「社会の規範」を毅然と教える、子供へのしつけの文法と一致します。
- 日本の犬の散歩(同伴・寄り添い型): 日本の散歩では、犬が前をトコトコ歩き、飼い主がその後ろを「お犬様の行きたい方向」へ付いていく光景をよく見かけます。これは犬の「行きたい」「匂いを嗅ぎたい」という感情に、飼い主が目線を下げて寄り添っている状態です。まさに「犬の気持ちを最優先してなだめる優しい私はエライ」「犬に嫌われたくない」という日本の育児の文法そのものです。
どちらが良い・悪いではありません。宗教や文化、遺伝子の違いによって、躾のやり方がこれほどまでに違うのです。
4.日本の特殊な母性愛の影響、今の母性愛は作られたもの
また、別の見方から考えると、このことは日本の親は子供との距離感が近いということにもなります。これは遺伝的に不安な情緒の日本の親子が、密接な関係性を作っているとも考えられます。これはある意味、親の愛ということではなく、共依存関係にあるということも出来ます。これが、親が子供の目線まで下りてきて同じ気持ちになってしかる、一方で欧米の親は上から目線で冷徹に理論でしかるという差でもあります。
しかし、共依存関係が強い日本でも、今のように「親の愛は至上の愛」という認識が出来上がったのは最近のことで、これは本能的な母性愛などとは違い、日本の社会システムが強化したもでもあります。明治までは子供の間引きや娘の身売りは日本の地方では普通に行われていたことです。親は自分の命はおろか、自分の生活のために平気で子供を犠牲にしていた。
しかし、富国強兵や高度成長期で、多くの兵隊や労働者を多数育てるために、特に女性では良妻賢母が叩き込まれ、その価値観のまま戦後には出産する子供の数が減り、数少ない子供をいかに育て上げるかが、特に母親では人生の価値になってしまい、今のような共依存ともいえる母性愛が確立していった。
これは、自分たちの夫婦生活に邪魔にならないように、赤ん坊の時から子供を別室で寝かせている欧米の親子関係とは一線を画します。日本でそんな親はいますか? また、ヨーロッパに行くと、並んで歩く両親の外側で子供は手をつながれて歩いています。一方、日本では、両親の間でガッチリと守られています。ヨーロッパでは家族の中心は夫婦であり、日本では子供なのです。
この差こそが、遺伝的形質と日本の近代史が作り上げた、共依存に近い日本の育児・教育環境にあります。
まとめ:我が子の「敏感さ」を強みに変えるために
こうして比較してみると、日本の子供たちが公の場でパニックになったり暴れたりするのは、決して我が子の性格が悪いわけでも、親御さんのしつけの手が抜けているからでもありません。「刺激に対して人一倍敏感な遺伝子を持ち、親もまたその中で生きているから」なのです。
敏感であるということは、裏を返せば「人の気持ちを察する能力が高い」「細かい変化に気づける優しさがある」という、素晴らしい才能でもあります。だから、日本のサービスは「おもてなし」と高く評価されます。
欧米流のキリスト教的な「毅然としたルール作りの目線」の良いところを取り入れつつも、日本ならではの「我が子の心に寄り添う目線」を大切にする。このハイブリッドな視点を持つことで、子育てのイライラはぐっと減り、躾もやりやすくなるかもしれません。
ミドリゼミでよく見られる光景
親御さんに「進路は?どう指導していけばいいですか?」と聞くと「子供にまかせています」という方が結構多いです。その子供が未熟であてにならないから親御さんにわざわざ塾から聞いているのです。
私には、子供を信頼しているというようなことではなく、子供と争いをしたくない、下手なことを言って嫌われたくないという気持ちを、子供の将来を考えるという大切な役割より優先しているのではないかとも思えます。
ここまで子育て論やペット論で書いてきたように、子供の目線に合わせた躾は子供に優しいと日本人は思います。そして、厳しいことを言うと子供に嫌われるのではないか、子供が傷ついてぐれるのではないかと心配します。しかしそれは本当の優しさや心配するポイントでしょうか?
子供が未熟な判断から間違えた認識で正しく学習できなくて、成績が伸びずに志望大学にも進めなくなる。例えば数学が苦手な子供が理数系に行きたいと言い、文系で英国に専念していたなら進めた大学にも進めず二流大学の理系になる。その結果就職も悪くなるなど塾では頻繁に目にすることです。
あるいは、夢みたいなことを描いて大学進学を考えていることも多いです。例えば、志望大学の学部を選んでも希望通りの将来には進めないなど大人は分かるわけです。二流私立大学のバイオなんか行ってもバイオの研究開発の仕事などひとかけらもなく、せいぜい医者のもとに薬を届けたり検査の試料を持ち帰るような営業になるということです。
こういう時は、やはり大人の上から目線に立って冷静に、きちんと証拠を提示して、冷静に話し合い、子供を一人の人格として諭すことが必要になってきます。高校生にもなって子供の目線に合わせて、同じところまで降りて行って、感情論的な話をして思考回路も子供の目線になっている親が非常に多いです。
私たちは不安な遺伝子と葛藤しながら、欧米流の冷徹な子育ててのいいところは取り入れ、子供に対してもっと冷静で論理的な子育てが必要とされています。
ミドリゼミは「君の偏差値ならその大学は大丈夫だね」「君の志望ならこの学科だね」というような子どもの目線に立ったとうり一片の指導はしません。これまで書いていたことを噛み締めながら、大人の目線で子どもの指導して行きます。
塾に親はなぜ連れて来るのか?
もちろんプロの指導でキチンと学習して欲しいということは前提です。しかし、多くの親は家庭で指導や話し合いをして、過敏に反応する子供に嫌われたくないという方も多い。親と子のセロトニン不足が塾という業態の成立を助けているとも言えます。
実際、「家で子供にいろいろ言うと子供の機嫌が悪くなり、家庭で揉める」と明確に塾で言う親も多い。そして、親は塾に丸投げする。
でも投げられた塾は、そんなことは重々承知です。子供を機嫌のよい状態で放置します。まともに指導して子供が「あの塾イヤヤ~」と言っていって、子供のご機嫌を取る親が塾に理由も聞かずに「子供が嫌だと言っておりますので」と退塾の連絡をしてくることを避けるためです。
だから、ほとんどの塾では、ロクな指導もせず「次は頑張りましょうねぇ~」程度しか言わない。
ミドリゼミは反日本の遺伝子
ドリゼミでは、20年以上の個別指導経験を持つプロの講師が、子供を直接指導しています。もちろん子供の性格や特性に合わせて指導しますが、子供のご機嫌を取って学習指導がないがしろになるような立場は一切取りません。
在籍期間を延ばすために他の塾のように子供のご機嫌を取っていれば、子供に正しい学習や進路指導をする役割の人間が、この社会からいなくなってしまうからです。
私は、日本人の遺伝子特性や文化のせいで、親子が共犯関係のまま間違った進路へ突き進んでしまうことの「ストッパー」になろうと考えています。そのような指導を希望される方は、ぜひご連絡ください。ただし、当塾は「理不尽に厳しい塾」というわけではありません。データと事実を淡々と突きつけ、子供に再考を促すことが基本になります。
このような大人の指導を素直に受け入れられるお子さんかどうか。あるいは、塾からそのように指導されたとき、我が子の感情に流されず、「塾の言うことは正しいから、もう一度よく考えてみなさい」と大人の目線で言える親御さんかどうか。そこをよく考えてからお申し込みください。
ミドリゼミは、ブログを読んでもお分かりのように、非常に特徴のある塾です。私はこれが真に良心的であり、子供のためになると信じていますし、今の歪んだ親子関係には必要な「外力」だと思っています。しかし、残念ながら合わないお子さんと親御さんがおられるのも事実です。


