中学の学習と不連続な高校の学習/この中間テストで躍進した高校1年生の例から考える
中堅高校に進む典型的な中学生だった
この高校生は、中学時代は優等生とは真逆の全くヤル気がない生徒だったとお母さんがおっしゃって塾に高校が始まる前の春休みに連れて来られました。中学3年生になってやっとヤル気を出して、中堅高校に滑り込んだということでした。
こういう生徒の場合、受験場目の前にぶら下がってきて否応なくヤル気を出すが、のど元過ぎれば何とやらで高校入学後は元の状態に戻ってしまう生徒が多いので、そのことはクギを刺して「キミ次第だ」ということでお預かりしました「中学3年の冬休みまで本気を出さない子供たちの将来」。
その生徒なりの静かな覚悟
私は入学時に「クラブ活動と学習は両立できないから、クラブに入るのなら活動の盛んではないクラブにして欲しい」とその生徒とお母さんには注文をつけました「高校生のクラブ活動について/特に新入生のみなさんへ」「新中学・高校1年生 クラブ活動の選択」。
そして、その生徒は今でもクラブ活動に入っていません。
普段は寡黙で殆ど会話から情報は得られない生徒なのですが、これが彼なりの覚悟だったのでしょう。
そして、塾に言われた学習を科目に進めた
以前から書いているように、ミドリゼミは数学と英文法の予習を高校1年生では進めます。次の授業の予習をするというようなものではなく、春休みに1学期分の予習をするのです「新高校生の新学期の開始/数学の予習を!」「春休みには数学の予習を半年分やる!/その予習が必要な生徒とは?」。
高校の学習でつまづく生徒のほとんどは、高校になって科目が2つになり、その二つとも難易度が不連続に一挙に高くなった数学でつまずきます。数学の学習を日々の予習・復習に持って来ては学校の授業ペースに追いつけずに、理解不足を放置したまま走り続け、定期テスト前に理解不足や課題が積み上がって、その解決のために他教科の学習が疎かになります。こうして全教科で成績が振るわなくなります。
英文法は高校1年生の段階で悪影響はでませんが、高校2年生の半ばから受験用の長文読解などを始め出すと、高校の授業と教科書だけを学習している生徒では対応できなくなります。あまりにも授業も教科書も内容が薄いからです。だから少し複雑な文章が読めなくなる。英単語の意味を適当に並べて、何とか和訳をするような英語力では全く対応できないからです「新高校1年生は英語の予習も今から始めよう/頭から英語が読めるようになろう」。
だから自分で補強していく必要があるのです。
こうして、塾で言われたこの生徒は、テスト前に数学に振り回されることもなく、全教科で安定した点数を取ってきました。
好きなことも我慢して高校の学習に切り替えられるか?
中学の学習の用に学校の授業の復習に回って、学校の授業に振り回されるようになっては、学習進度が早く、各教科で授業が2つ以上に分かれる高校では到底対応が出来なくなります「高校生と中学生の学習の違い/数学の学習が決定的に違うことが分からない高校生は失敗する」。
予習によって自分で学習をコントロールできる者だけが成果を勝ち取れるのです。上に書いたように数学は、高校1年生のテストからすぐさま結果に出てきます。英語は高校2年生の半ばから受験勉強を始められる状態に持っていけるので、十分な読解力を身につけることが出来ます。
しかしこのような学習を進めることは、この高校生のようにクラブ活動や好きなことを犠牲にするということです。成果をもぎ取るために自己犠牲を強いる生徒のみが大学受験に勝ち残れると私は思います。
なぜ未来のために今の犠牲にできるのか?
では、中学時代にどちらかというと怠け者だったその生徒が、高校ではなぜそんなことができたのでしょうか?これがこの話のカギになるポイントです。
それは彼が高校受験を通して、「もっと頑張っていたら違う今があった」ことを認識したからではないかと思います。高校に入ると親や塾の圧力でその生徒を頑張らせることは無理です。そんなことが出来るのは中学受験と高校受験までです。
だから高校受験を終えた多くのの生徒は、「受験など一時的に頑張れば大丈夫だ」「もうあんな厳しいことはまっぴら御免だ」と、こちらが何をアドバイスしようとも本来の自分の姿に戻ってしまいます。しかし、ごく一部の生徒が自分で自分の現状と未来を認識してこの元の姿を変えることができます。それがこの生徒のような例なのだと思います。中学時代に平凡で、どちらかというと努力するのが嫌いだった生徒が、高校受験を通して今の犠牲の上に未来が築かれることを学び、塾の指導下で実直に努力した結果です。
ミドリゼミの考え
しかし、多くの親子や教師は「学校は教養や社会生活を学ぶ場所でもある」と言います。それが第一義になっている方も多くいます。でも学歴がないことには、そもそも表や社会生活をいかせる組織の中に入ってないではないですか。クラブ活動でサッカー野球が多少うまくて、先輩との付き合いが多少うまくても、それで入社試験が突破できて一流企業にFランク大学から入れますか?
私には努力するのが嫌な人間の逃げ口上と私には見えます。
好きなことを楽しむことが目の前にある必要な努力よりも上位に来る平凡な人間が、他人に競争で勝てるわけがない。
京都大学に楽勝で進むような飛び抜けた学習適性の生徒を例に出して「クラブも学習も両立できる」というような教師は、努力で這い上がって神戸大学などに進もうとする平凡な生徒を潰す極悪人だと私は考えています。
自己犠牲が嫌なら私立文系にすべし
好きなことをやることを我慢したくないというのなら、数学も英語も両科目とも十分に学習するのは無理です。どちらも不十分になって、中途半端に努力している割に成績は上がらず嫌になります。このパターンの生徒が非常に多い。
中途半端な努力しか出来ないのなら1教科に絞るべきです。理系は英語も数学もあるからムリです。国立大学の文系も同様です。だったら数学がない英国社の私立文系に絞ってひとつでも上の大学に進むしかないです。
この選択が出来ない生徒、特に進学校でプライドだけは高い生徒は、関関同立の受験も失敗します。だから、兵庫県の公立で最上位の高校や2~3番手あたりの中高一貫の私立の解1/3は関学にも進めないのです「中間テストの反省をしよう/高校と中学の数学の学習の違いが分からないと失敗する/並の進学校の下位だと関関同立は無理」。