義務教育とクラブ活動の意義
義務教育の意義
このビデオの通りだと思います。義務教育は国語や数学/読み書きそろばんを学ばせる以上に、企業や社会と言う組織で働く・生きる躾を学校と言う社会組織で行うものです。親のそばで子供を甘やかして育てると、社会に馴染めない子供が多く排出され、社会的にマイナスになる。
ところが、豊かになって社会の強制が緩んできたために、子供の自由や権利を義務教育と言う躾組織で親が声高に主張し出したために、矯正機関としての学校が崩壊つつあります。
社会の最低限の約束事である組織の規律に従う・上司の命令に従うを出来なくて良い子供は、その才能で食っていけるごくごく少数しかいませんが、組織の中で食って行かなければいけないほとんどの子供の躾を学校組織から親が剥奪した結果、こんなことになっています。「公立中学生の親御さんが決定的に勘違いしているお子さんの学力/そしてその生徒が高校生になる」
企業で若い部下をお持ちのお父さん方は実感されているはずです。年を追うごとに若者の劣化が急速に進行して、多くの若者が使い物にならなくなってきている。
躾けられない子供の急速な劣化
「公立中学生の親御さんが決定的に勘違いしているお子さんの学力/そしてその生徒が高校生になる」にも挙げた通り、小学校6年生では上下さかさまにした三角形の面積すら求められなくなっている生徒が半数います。都市部では中学受験しない生徒の数は半数以下です。ということは、進学塾と言う昔の学校より厳しい環境で躾をされずに、今の義務教育に放り投げられている子供の多くでは中学入学時に三角形の面積も求められないと言うことです。読み書きそろばんができていないと言うことです。こういう生徒は漢字もおぼえれません「基礎学力がないとはどういうことか?/学習しても成績が上がらないとはどういうことか?」
この学習能力の劣化は、学校と言う組織でキチンと躾けられていない結果に相応に比例します。組織が緩み来ているから、最低限のこともできない。その出来ないことが許されてきた。それに慣れた子供が育って、少し学習を強制されると塾に文句を言い、親はそれに同意してすぐに辞めさせる「無力感/大学を高望みしておきながら、少し厳しい学習を求めると退塾する生徒たち/塾で成績を上げても無駄」。
そういう環境が当たり前になった子供が若手社員になっている。
大昔の丁稚奉公の意味
義務教育がなかった江戸時代には小学生ぐらいの子供を商家などに住み込ませて働かせる丁稚奉公と言う制度がありました。明治以後も、義務教育は小学校しかなかったので、中学生ぐらいの子供が親元から離されて工場などで働かされました。
塾を始める以前、私はこの制度は貧しい家庭の若年層の労働力搾取、一方では親は子供の食い扶持を減らすことができるからだと思っていました。しかし、今ではこの制度は違う目的も持っていたと思っています「冬休み明けの恐怖/甘やかされた子供たちが欲求不満を爆発させる」。
学校組織がなかった時代には、組織で生きて行けるように躾けるために親元から引き離すには、住み込みで働かせるのも方法だったのだと思います。仕事が終わって夜に家庭に返せば、昼間に躾けたことが甘やかされて元の木阿弥になってしまうからではなかったんでしょうか。
モンペアの増加と比例した中学受験とクラブ活動の活況
2000年以後、親の発言が強くなって学校の授業では厳しい躾けはできなくなりました。家に帰れば、明治時代など比べ物にならない甘々の親に子供は好き勝手が許されます。こういう中で、ひとつだけ子供を厳しく縛る組織がありました。クラブ活動です。
親の発言力が強くなり、三角形の面積も求められないような子供が公立校では多くなるにつれ、都市部では半数以上の親が教育を中学受験塾に依存するようになりました。当然の結果です。ところが、この状況に気が付いていない親が半数弱いるわけです。これを野放しにしないようにしたのがクラブ活動だと私は思っています。
モンペアの数が増え、授業時間内に子供を躾けられない学校は組織を保てなくなった。小学校では学習は塾にまかせて、半分弱の塾に行っていない生徒には三角形の面積が求められなくても〇がついているわけのわからない通知簿を渡すようになった。
中学ではそういうことはできないので、クラブ活動で組織の強制を持たせ何とか公立校は学校としての組織を守ったのではないかと思っています。家に帰る時間をなるべく遅くして、早朝から学校に来させて、休日もクラブ漬けにする。学校の授業とは違い、子供が好きで行っているクラブには親御さんも強いことは言えないし、そこで組織としての教育を求めた親御さんもかなりおられた。
引き替えに得られたものは
そして授業は崩壊し、クラブ活動だけで何とか学校組織を保っていました。ところが、この状態が行きすぎてゆとり教育で崩壊した教育現場のまき直しを、少なくとも中学では最近急速に行っています。その結果、授業の邪魔になるようになったクラブは弱体化しています。授業の躾とクラブでの躾は半比例の関係にあるんです。
でもね、中学受験塾が学習の主体の小学校では相変わらずです。それじゃあ、三角形の面積が求められず教科書も読めない子供はどうなるのか? 格差が開くだけです。中学から締め上げても、基礎学力はおろか努力することすら知らない子供は落ちこぼれるだけです「理解の壁/公立中学の通知簿3と4間に立ち塞がる途方もない壁」。けれど、そういう子供を厳しく躾け直そうとすると、学校が炎上するすることになります。だから、できないヤツは仕方がないと放置されています。
「中学3年の冬休みまで本気を出さない子供たちの将来」の通り、放置されてきた子供が中学3年生の後半になってやっとヤル気を出して、優秀な生徒が私立中学に行って大多数いなくなった受験競争で何とか中堅校に潜りこみます。甘い高校受験の上に、高校でも強力なライバルがいない状況で世間を舐めきった子供は「高2生3割が勉強時間ゼロ 希望進路で差、文科省調査: 日本経済新聞 (nikkei.com)」ということになります。
異常に活況だったクラブ活動の目的は?
現在では20歳代の若者の4割が非正規労働だと言われています。ということは、この学習時間ゼロの高校生のほとんどは非正規労働になると言うことです。丁稚奉公に変わって、クラブ活動の躾は従順な単純労働者の育成ツールだったということなんだと私は思っています。
クラブで組織に従順に従い、頭の中は空っぽで考えるツールも考え方も分からない若者を大量に生み出したんです。非正規労働用の奴隷を育成したと言っても良いかもしれません。丁稚奉公の場合は優秀なら出世して暖簾分けもあったのでしょうが、現代の非正規労働はそういう可能性はなくずっと貧困です。
外れた思惑
ところが、文科省の思惑路違ったのは、この非正規労働者予備軍が、三角形の面識も求められないほどの読み書きそろばん能力しかなく、漢字をおぼえる辛抱もないと言う非正規労働者でも雇えられないほどの代物になったということです。
非正規労働でも雇えないほどクオリティが低下したんですな。だから、教師の過重労働の言い分も聞いて、クラブ活動の制限に乗り出し授業のカリキュラムも強化しました。ゆとり前に急激に教育現場は戻っています。
でも親御さんの意識はゆとりのままの方が多く、ロクでもないことになっている子供も多いです。「「最近の若者は口だけは一人前で辛抱もない。」とお嘆きのお父様方へ/あと5~6年するとその若者が神々しかった有様になります/でもね、親御様の方が変化は激しい」子供だけでなく、親御さんの方も二極化したままなんです。
漢字をおぼえる気もない子供を塾に連れてきて、「学習方法さえ分かれば、この子もなんとかなる。」と塾に丸投げされる。それで、「漢字をおぼえなさい。ボケーっと眺めているだけではおぼえられない。書いておぼえなさい。」→「何回言ったらわかるの? そんなことしてるから、こんなバカげた点数取ってるんや! しっかりしろ!!」と言うと、「もうあの塾イヤヤ~」と子供はいい、親御さんは「そうよね。いやよね。」と言って塾を辞めさせる。
・・・どこで子供をまともにするんだろう?・・・そら、こんな子供の成れの果て、非正規でしか雇えませんよ。だから移民政策が緩められています。「ダメダメな若い日本人雇うくらいなら、ベトナム人の方がマシ。」という社会になってきているんだと思います。