学力が伸びない高校生の理由:文法力がないのに長文読解をさせる進学校
基礎学力を疎かにする/英語が伸びない理由
私の塾では、高校1年生には英文法の学習を徹底させます。学校の文法の教科書は薄く、問題数も少ないので、塾で問題集を買ってもらって、学校から配られる分厚いFORESTなどの問題集を解説して読ませながら徹底的に学習させます。この学習をクリアできてからしか長文読解などさせません。それは、長文読解させたところで、解説のしようもないからです。
例えば、筑波大学の過去問で次のような長文があります。
To what extent are we freethinking individuals? The question matters because economics and psychology have, at their basis, the concept of an independent individual. Perhaps it is this assumption which has led to the difficulty these disciplines have had accounting for phenomena such as financial bubbles, political movements, mass panics and technology fads.
これ、読める高校生は大したもんです。上位の国立大学に受かると思います。もちろん、関西学院程度ではこんな問題は出ません。尚、これは私が書きながら和訳しているので、間違いがあればお知らせください。解答は知りません。
何となく読んでも入試う問題など読めません!文法の裏付けが必要
To what extent? っていう最初の文章からして読めないでしょ? まず最初のTo what extentってなんだと思いますか? この文章は最後に?がついているから疑問文です。ということはwhatは疑問詞なわけです。その前にtoがついている。ということは、このTo what extentは文章の中の修飾句が前置詞込みでまとまって前に放り出されたと考えなければ、こういう疑問文は成立しないんです。
では、are we freethinking individuals?ってどうなってるんでしょう?問題はfreethinkingが現在進行形なのか、individualsを修飾する分詞なのかってことですよね? ここでややこしいのが、このthinkという動詞なんですよ。thinkは、通常は状態動詞として進行形は作りません。ところが、考慮中であるというときは動作動詞として扱われ進行形を作ります。
いずれにせよ、we freethinking individualsという語順は他動詞と目的語でこの並びなので、To what extentはこの後ろに入ることになります。We are freethinking individuals to what extent.が肯定文の語順です。従って、thinkを分詞と考えると「私たちは考える個人である」+「何の範囲に」ということになり、「私たちは、どの範囲まで考えている個人である」となり、To what extent are we freethinking individuals? は「どの範囲まで、私たちは考えている個人なのか?」という訳になります。
一方で、現在進行形と考えると、We are freethinking individualsは「私たちは個人を考慮中である。」という意味になります。to what extentは「何の範囲に」と変わりません。従って「どの範囲にまで、私たちは個人を考えているのであろうか?」という意味になります。
どちらでも間違いではありません。これが、この短い文章の解説です。文法的知識なしに読み取れますか?無理です。こういう解説をされても、解説さえ理解できないはずです。だから、文法の知識なしに長文読解など不可能なんですよ。
第2文は簡単です。けれど、自動詞と他動詞さえ知らない生徒は半分以上
次の、The question matters because economics and psychology have, at their basis, the concept of an independent individual.も読めないでしょ?これは比較的簡単です。mattersが自動詞だと分かれば、The question mattersが「この質問が重要なのである。」となって、because economics and psychology have, at their basis, the concept of an independent individualでは, at their basis,はわざわざカンマで囲まれている注入句なので、「なぜなら、経済と心理学は、基本的には、独立した個人の概念を持っている。」と簡単に訳せます。ところがmattersを名詞だとしてThe question mattersをひとまとまりにして「その質問事項」と主語にしてしまうと、because economics and psychology haveのhaveが従属節のbecause以下の文の動詞なのか、主文のThe question mattersを主語にした動詞なのか分からなくなって、読めなくなります。
そして、この文では独立した個人の概念を経済学などがベースとしていると言っているのですから、最初の文は「どの範囲にまで個人として考えているのか?」というfreethinkingを分詞として考えた訳の方が適切だとなるわけです。入試レベルの長文では、単独の文章の解析からでは判断がつかずに、このように下流の文章の内容から上流の文章の判断をする場合が良くあります。
これぞ入試問題の風格、第3文・・これ読めたら神戸大学なんか楽勝で受かります
Perhaps it is this assumption which has led to the difficulty these disciplines have had accounting for phenomena such as financial bubbles, political movements, mass panics and technology fads.も難解です。どこで切ればいいか分からないからです。取りあえずは、it is this assumption which has led to the difficulty では「それはこの前提である」となっていて関係代名詞whichでasumption=前提が修飾されているということは、誰にでもわかるでしょう。
しかし、which has led to the difficulty these disciplines have had accounting for phenomenaのどこれ切ればいいのか分からないんです。そこで、最初のitは何かということが重要になります。文頭のitですから、指示代名詞だとすると差すのは前文中の内容です。あるいは形式主語だと考えることもできます。ここまででは判断がつきません。
次に、気づく点は、the difficulty these disciplines have had accounting for phenomenaの下りです。もし、the difficulty (which)these disciplines haveという関係代名詞の省略に捉えれば、「これらの分野が持っていた困難は」までが主語になり、had accounting for phenomenaが熟語になります。ところが、自動詞のaccountでは目的語など取れません。この目論見はダメなんです。ということは、the difficulty these disciplinesという名詞が二つ並んでいる間に、接続詞が省略されているということになります。考えられるのは、同格のthat、あるいは形式主語のthatです。
同格だと考えるとthese disciplines have had accounting for phenomena such as financial bubbles, political movements, mass panics and technology fads.というthe difficulty、すなわち「これらの分野がその現象を説明するという困難」となって、全文では「それは、これらの分野が経済バブルや政治動向、大衆パニックやハイテクの熱狂という現象を説明するという困難を導いてきたこの前提である。」となります。でも、主語のitは何を指すんでしょう? 考えられるのは前文中で、単数名詞で主語のThe question、the difficulty あるいはThe question mattersという主文全体という可能性が高い。でもit is this assumption「この前提」と言ってるんですから、the difficultyだとすると、「困難は困難を導いてきたこの前提である。」という意味になり、文章内容にまとまりがつかない。でも the questionなどなら、「困難を導いてきた前提こそが、個人としてどの範囲まで考えているかという質問(が重要なこと)なのである。」となのでやはりまとまりがつきません。
形式主語と考えると「これらの分野が経済バブルや政治動向、大衆パニックやハイテクの熱狂という現象を説明することが、この分野の困難を導いてきた前提である。」となります。文法的には、どちらでも間違いではありません。these disciplineはeconomics and psychologyという分野でしょう。「私たちは、個人としてどの範囲まで考えているのだろうか。この質問が重要なのである。なぜなら、経済と心理学は、基本的には、独立した個人の概念の上に成り立っているからである。経済と心理学の分野が経済バブルや政治動向、大衆パニックやハイテクの熱狂という現象を説明することが、この分野の困難を導いてきた前提である。」と考える方が筋が通って合理的なのではないかということになります。
別に文法的にはどちらでもいいんですが、内容から判断しないといけない問題です。大学入試でも難問だと思います。
このit is を強調構文を考えることもできますが、長くなるので省略します。
お分かりいただけたでしょうか? 文法力もないのに長文読解を学習をする進学校の無駄
文法力のない生徒は入試レベルの長文なんて、自分で読むことはおろか、解説を聞いてもチンプンカンプンなんです。ところが、最初に書いたように薄い文法の教科書でおざなりに文法学習をして、こういう難解な長文が載っている参考書を生徒に放り投げて授業を始めるのが進学校なんです・・・ムリでしょ?
ところが、進学校は授業進度が速いから、私の塾でも文法をまとめて教える時間が取れずに、パッチワークのようにその場その場で教えていくことしかできない場合があります。結局、ゆったりとした授業で文法も塾でしっかりと学習した公立校や下位の私立の生徒に、つぎはぎだらけの学習で基礎学力も身につけられなかった進学校の生徒が高校2年生の後半になって負けるって言うのはよくあることなんです。
そんなことを理解して中学受験させてる親なんかいないでしょうけれどね・・・・まあ、「こいつスゴイ。一言ったら十できる。出来が違う。」って調子で、中学受験塾の最上位クラスを余裕でこなしていく子供以外、そんな進学校の授業こなせるはずがないという大前提が、中学受験が目標になった親の頭からすっ飛んでいるんです。