国語の教師は、光村の教科書がなぜ好きなのか?

光村の教科書は段落構成が不明瞭

芦屋の中学は以前は三省堂の国語の教科書を使っていました。これは素晴らしい教科書でした。段落構成が明瞭な文章を載せてあり、作者がどういう意図で文章を作っていったのかスケルトンの模型を見るように理解し、教えることが出来ます。ところが、この教科書の採用は止めになり、大多数の市で使っているのと同じ光村の教科書になりました。光村の教科書は、簡単に言えば三省堂の真逆です。段落構成が不明瞭で、言い換えれば「文学的」なまどろっこしい書き方なのです。

なぜ光村の教科書は選ばれるのか

だから、文学好きが教師や教科書の選定委員になっている限りは、味も素っ気もない三省堂のような教科書より、光村の「味わいのある」文章を載せている教科書を選ぶことになります。読解の基礎を学ぶ中学生に適したテキスト、明瞭に教えるのに適したテキストという観点ではなく、選ぶ側の嗜好からチョイスされているとしか思えないフシがあります。他の教科でも選ぶ側の嗜好はある程度反映されるでしょうが、教えにくい、生徒も分かりにくいテキストをわざわざ選ぶということはありません。 この国語の教科書選定からして、国語の授業が学校でどう行われているのかよく分かります。他教科で選定者の嗜好で選ばれるのは、後は社会の歴史や公民の教科書のみです。まあ、その結果が今の対中・対韓関係なのですが・・。

いや、ステイタスか、思考停止か、実利かも知れない

社会の教科書は、中学校で各市で様々ですが、高校に入ると歴史は「山川」一本槍です。あんなわざと分かりにくく書いてあるとしか思えないテキストばっかりなんで使うのか、私は本当に分かりません。巷では、この教科書を優しく解説してあるような「分かりやすい・・・」系の参考書が大流行です。少し前も「もういちど読む山川日本史」がベストセラーになりました。大人になって小難しかった山川の教科書の教科書モドキを読み返して、「少しはオレも分かるようになったな」と悦に入るための本です。本末転倒というのはこの事を言うんですが・・そんなふざけた本を「私達は分かりにくい教科書を出版している高尚な会社なんです。エッヘン。」とばかりに山川自身が販売してるんですよ。呆れてものも言えません。教科書を選定する側は、この現象をどう考えているんでしょうかねぇ?

まあ、でもほとんどの高校で山川の教科書やサブテキストが使われているということは、大学入試問題もこの教科書から出るんですから、分からなくても丸暗記すればハズレはないということにもなるんですけどね。でも、実際のところは、山川の教科書も光村の教科書も、単に「みんな使ってるし」だけで選ばれているんだと思います・・・。違うの選んで「載っていないのが入試に出た」とか、「オタク、なんであの教科書使ってるの・・」なんて同業者から上から目線で言われたら面倒ですからねぇ。この「上から目線」は、単に一番難しい教科書を選びたい数学の数研の教科書にも言えますね!上位校では数研の教科書以外選んだら「恥ずかしい」という風潮があるのでしょうか?

文学好きより、法務部出身者を国語の教師に

これは、いろいろな学校の生徒を教えてきた私の結論です。文学部出身の文学好きの教師に「文章の味わい方」的な授業をされるより、文章構成の論理的矛盾がないか考えるプロの法務出身者に教師をやらせ、教科書の選定もさせるほうが適切だと思います。私は生徒によく、「作文の添削は学校の先生ではなく、お父さんに『会社の部下の書類を見るのと同じようにして』と頼んで見よう。」と言います。その方が、小論文でいちばん大切な文章構成への適切なアドバイスが得られると思うからです。もちろん、大抵の生徒は「恥ずかしいから嫌だ」と抵抗しますが、高3で小論文の入試前になると生徒もそんな事も言ってられなくなって従います。

普通の良識ある大人が子供のためにと教科書を選定したら、光村や山川は選ばないはずです。

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