国語の学習 読解力を上げる近道=徹底的な作文の添削

前日までに書いてきたのは、学校の定期テストの成績の上げ方です。「学習の手引」で学習ポイントを把握し授業をよく聞き、教科書ガイドや準拠問題集で復習する、さらにテスト前にはノートを見直し、学習の手引に書いてなかったような内容も押さえておく、というものです。今回は、模試や入試に対応できるほんとうの意味での読解力の上げ方をお話します。

読解力とは書き手の意図を汲む力

前々回から申し上げているとおり、読解力とは感想を述べる力ではなく、書き手の意図を正確に分析する力です。相手はどういうことを書きたくて、どう文章を書き連ねようとしているのか、だからどう意図で段落を分けているのか、その結果その段落ではこういう事が書いてあるのか、作者の立場に立って分析しながら読む姿勢こそが読解力です。

だから、読解力とは「ここまで到達したから次のステップ」というような明確な課題を学んでいく数学などとは違い、まず学ぶ側がそういう姿勢が「出来ているか、出来ていないか」「頭がそういうふうに働くのか、働かないのか」ということが、できるか出来ないかの大きな部分を占めます。

だから、日々の学習の中です、学校の授業を復習して「前回はこうなっていたんだから、今回はこれが付け足されて、こうなっている」というように徐々に学力はアップしません。 段落構成などを理解できるようになるまで取り組まないと、そういうふうに考えられるよう頭が動くまで取り組まないと意味がないのです。だから、ある時期に時間をかけてできるようになるまで取り組むことです。

じゃあ、具体的に何をするのか

じゃあ、「理屈はいいから、具体的には何をしたらエエねん。」と当然言われるでしょう。申し訳ありませんが、数学の解答や英語の文法解説と違い、それをここで書くのは難しいです。まず長文を用意し、それから段落の中の表現を確認しながら段落構成を詰めることをしなければいけません。ここではそういうことが書ききれないんです。

ただ一つ言えるのは、絵を書くのが下手な人間が鼻や目から書き始めて最終的にはバランスの取れない絵を書くのと同じで、長文読解の出来ていない人間は文章の構図を理解せずに文を読むという断片から処理を始めてそこから全体を見渡すことです。作者は何故このようなことをしているのかとという、構図を鳥瞰できないことには国語の読解力は上がりません。全く具体的なアドバイスではありません。

具体的に書けるただ一つの学習/小論文の徹底添削

でも、具体的に、簡潔に書け、それでとびきり有効で、生徒が最も嫌がる学習が唯一つあります。それは、小論文でも感想文でもいいですから、自分で書かせることです。自分で書けるということは、相手がどう書いているかも理解できるということです。

論理的な文章を生徒に書かせるには、文章を書かせて「よく出来ました。」「もう一つこの表現が・・」とか採点だけする学習を何回続けても無意味です。一つの文章を書かせたら、矛盾点のない段落構成や、その段落の中でやはり矛盾点のない表現になるように徹底的に添削して書き直させないと、文章は書けるようになりません。

私は、一つの文章を20回以上書き直させます。こういう下手な文章を書いていて言うのもなんですが、矛盾点がなくなるまで徹底的に書き直させます。 手書きで何度も書き直させるのは無理なので、パソコンを使って何度も書き直させます。まず、作文を書き始める前にどういう段落構成で何を書くのかメモをしてから書くように言います。簡単に言うと、「結論」「その結論の理由」「その理由を補強する例」「その結論に基ずく今後方針」を考え、各段落に何を書くのか簡単にメモしてから、それに沿ってパソコンに入力しろと言います。そして、生徒が持ってきたデータで、目の前で段落や文章を入れ替えるだけで劇的に内容が変わることを説明し、文章の構図というものを考え鳥瞰するということはどういうことなのか目の前で見せつけます。 そして書き直させます。そのようなことを、何度も何度も矛盾点がなくなるまでします。

まあ、最初のうちは生徒はへばりますよ。そんな徹底的な直しなんかされたことはないでしょうから。嫌気が差して音を上げるのも少なくないですが、やらせ切ります。その修羅場を潜れば、「ああ、なるほど。」というレベルに達する瞬間が絶対に来ますから。学校の授業のように「こう分けて書きましょう」と形式だけを教え込んで、作文に花丸をつけるだけでは何の進歩もないです。

小論文を書けない生徒のもう一つの特徴/論説より小説の方がマシ

文章構成が出来ない生徒は小論文を上手く書けませんし、長文読解もほぼほぼ苦手です。ところが、文章構成以前の問題として小論文がまったく書けない生徒がいます。「何を書いていいのかわからない」生徒です。ある社会事象について書けと言われた時に、社会一般の知識や社会が共有している意識をまったく知らないために何を書いていいのかわからないんです。だから、説明文を読んだときにも、文章構成の理解以前に、何を書いてあるのか分からないから読めないということになります。

こういう生徒は日本語は分かるが、教科書にも何が書いてあるかわからないのです。普通の大人が日本経済新聞の株式欄を見た時に、「新聞は読めるが、専門用語と経済知識がないと何を書いているのか分からない。」と言う状況と同じことを、あらゆる文章で体験しているのです。だから、そういう大人が三面記事や週刊誌のスキャンダルは面白く読めるのと同じで、そいう生徒では説明文よりは小説文の方が読みやすいと言います。人間関係や恋愛問題は誰にでも分かるからです。

一度お子さんの小論文でも読んでみて下さい。半分以上の高校3年生は、そら酷い内容の「これ、小学生が書いたんか?」というような知識量の内容を書きますから。学校で友達と共通の話題を話し、クラブに夢中になり、家でもSNSで友達と繋がるだけという閉鎖空間で彼らは生きているから、社会的知識も常識もまったくないんです。電車の中でもスマホを弄っていて、週刊誌の中吊り広告さえ見たこともないでしょう。だから、昔の子供より、ものすごく幼いです。

ですから、こういう生徒にいくら文章構成を教えても国語の成績は上がりません、一時期、予備校などもこの問題に頭を悩まして、高校生向けに時事問題を解説した参考書を出していましたが無駄でした。頭が幼い子供に何を解説しても無駄なんです。だから、育てることは放棄した模様で、最近では、小論文では「医進系ではこのテーマ、社会学系ではこの話題が出るから、その時はこう書くんですよ」というような「丸暗記」問題集が主流です。何が出題されるかわからない長文や小論文では、私はそんな付け焼き刃は無駄だと思うので、「夏休みや週末には、お母さんかお父さんと一緒に朝のモーニングショーを見て、内容について話す。」を課題にして、未だ育てようと苦労しています。

何時そういう学習をすればいいのか/中学生には読解学習は無理

正直、中学生ではよほど成熟していないと、こういう学習は無理だと思います。どうしても、学校のノートで「こうなっているから、おぼえておこうね。」ということで終わってしまいます。あるいは「こういう指示語の問題は前の段落に書いてあるから探そうね。」という解説以上の理解を求めるのは、大抵の中学生では難しいです。

やはり、高校2年生の夏休みぐらいになって、ある程度脳の発育も進み論理的な思考ができるようにならないと、ほんとうの意味での長文読解の学習は難しいと思います。私は高校2年生になる春休みや、高校2年生の夏休みに1週間ほど時間を取って集中的に取り組むのが一番いいと思います。でも、上に書いた小論文の学習を、小論文の受験がある高校3年生の冬にやらせても、半分は私の意図が理解できません。「結論」「理由」「例」「例」「今後の展開」など形式的通りに書く「型」を覚えるだけでになってしまいます。

いろいろな生徒を見ていると、論理的能力を総合的に判断できるのは、数学などではなくて実は小論文と国語の読解だと言うことがよく分かります。

センター入試の選択肢対策について

以前も書きましたが、センター入試の選択肢は書き手の意図も考えずに「こう感じる。」という生徒が選ぶ選択肢、あるいは書き手の「こういう書き方では、そういう選択肢に引っかかるのも無理はないわな。」と考えられない生徒が引っかかる選択肢が満載されています。

私も選択肢の解説はしますが、半分以上の生徒は理解できません。やはり、きちんとした文章が書けるレベルの生徒でないと、いくら過去問を繰り返しても、センター入試用の問題集や授業を受けても無理だと思います。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。