受験と言うインスタ
とあるお母様同士の会話
「うちの子、〇〇塾に入れて、あの塾からは灘〇〇人、甲陽〇〇人って言ってるのよ~。」「そうそう、うちの塾じゃあ、学校では〇〇しか習っていなのに、もう〇〇まで習っているのよぉ~。」
と言うように自慢げに大声でおしゃべりされている会話を、とある公共交通機関の中で聞いたわけです。そこで私が思ったのは、「アッ、コイツら中学受験失敗するわ。」と言うことでございます。
話している内容より、その会話の雰囲気が、なにかブランド物か、自分たちが行った旅行やレストランの自慢でもしているように聞こえたからです。別の言い方をすれば、リア充を装っているインスタを見ているようだとも言えます。
「コイツら、子供の学習がどうなっているか、子供が中学受験に適性はあるのか、全然見てないな?」と、私、直感的に理解してしまいました。
子供に無理強いする親に負い目はないのか?
と同時に、私がその母親たちの軽~いインスタ的なノリから感じたことは、自分たちはしたこともない苦労を子供たちに投げつけておいて、自分たちはお買い物を楽しんで軽~いノリで受験のお話に興ずるその姿があまりにも軽すぎて、親としての姿勢にとても大きな違和感を感たことです。
さらに、それも周囲に聞こえるように、自分たちは特別だとでも言いたげに中学受験の自慢話を大声でする様は、愚かしいとさえ思いました。インスタでもアップしている感覚なんでしょうか?
中学受験の端緒はインスタなのか?
私は、上のような会話のような感性から中学受験は始まることが多いと思っています。簡単に言うと親の見栄です。まあインスタ映え?
本当に美味しいか、キチンとした素材が使われているのか検討したら、インスタ映えするようなレストランなんか行きませんって。受験も同じで、子供の能力、そして進学可能な学校の大学進学状況を考えれば、中学受験などに安易に手は出せませんって。親がまともなら、中学受験塾の数など軽~く1/10に激減するはずです。昔はそうだったんですから。
子供の可能性などと言う浮ついた言葉が、親の見栄を上手く隠して、親に正当性を与えているのが中学受験です。
父親の場合は、ジコチューから受験は始まる?
父親の場合、どこかから聞きかじったド外れた理由を鵜呑みにしていることが端緒となっていることも多いです。これは、自分の子供に対する期待と、普段仕事に忙しく子供に接することがないので子供の実像が理解できていないこと、その両面から生じます。
特に、父親が高学歴などで、母親の意見など聞く耳を持たない場合、受験へのメチャクチャな要求から「拗らせた子供」を作り上げる例も何度も見てきました。まあ自分はできたんでしょうけれど、それを子供ができるかは別だと、意地からでも、思いたくないってのもありますけれど。
まあ、でも父親の場合も、見栄と言えば見栄です。母親のあっけらかんとしたインスタ映えより、多少拗らせている場合も多いですが。
ということで、見栄から始まる中学受験は心もとない
見栄から始まる中学受験も、子供がその見栄に沿うだけの逸材ならいいのですが、そうでない場合は学力に合わない学校に無理やり進まされて落ちこぼれて、公立でのんびりやっていたら進めた大学にも、苦労を重ねあげた末に進めないという悲劇が起こります。
このことは「進学塾や進学校の生徒が抱える学習問題・・根っこは親です」「進学校の生徒が普通の高校の生徒に追いつかれる理由」などで散々書いてきました。「関西の有名私立大学の数学はチャート式レベル」で上げた入試問題でも分かるように、少子化と学部増設で簡単になった大学入試では、偏差値60程度の大学に進むのに、中学高校で落ちこぼれて悲惨な結果を生むかもしれない中学受験が必要なのか、私にはよくわかりません。
必要なのは、偏差値70の京都大学や医学部に進む子供だけです。難問に対処する必要がありますから、公立の授業では無理です。けれど、そんな難問を教える学校に中学受験で進める子供なら、公立から一浪して予備校でそれなりのことを学べば同じだと思いますけどね。中学受験なんか、いくらでも巻き返せますよ。