中学の世界地理と日本史 塾では必ず教える花のパリ、ローマそして京都

パリとローマの地下

「日本人は地下鉄のトンネルの上で暮らしていますが、ヨーロッパでは墓と骸骨の上で暮らしてるんやで~。パリに行きたなったやろ~」と、世界地理の説明をします。これは、街の郊外の墓地が、都市の拡大によって取り壊されて、遺骨が都市の地下に移されたとか、中世のペストで大量の死人が出た時に放り込んだとかいろいろ言われています。

ヨーロッパのペストを知ると、コロナなど怖くありません!

因みに、このヨーロッパの大都市とは異なり、ローマ時代の地下墳墓の遺跡としてのカタコンベもあります。ナポリやマルタのイムディーナにあります。

私の体験談

とある場所でカタコンベに入りました。古代~ローマ時代のものです。

このカタコンベはGame of Thronesの舞台にもなった古都の城塞内の観光中心地から離れたところにあります。世界遺産でもありますが、観光客はあまり訪れません。それに、朝だったためか、私はカタコンベで一人さまよっておりまました。そこで、突然電気が消えて、真っ黒になったんです。洞窟の中ですから、完全に闇です。

さすがに、ビビりました。スマホの明かりを頼りになんとか地上に生還してまいりました。今まで生きてきて、この手の体験では、マジで一番怖かったです。

当塾で必須の日本史

日本で墓という概念ができたのは近代以降です。墓が権威の象徴だった高位の貴族を除いては、死体は郊外に打ち捨てられていました。死体は汚らわしいものとして遺棄されていたのです。祖先のお墓などという概念ができたのは、葬式仏教ビジネスが成立した近世になってからです。

仏教は天皇中心の国家鎮護を役割として日本では広まりました。だから権威と権力の象徴として奈良の大仏が作られたのです。その後、平安時代に疫病が流行り、死後救済として浄土信仰に仏教は変貌しました。この当時の代表的な建築物が、建物の内外で極楽浄土を表現した平等院です。でも、死後の世界は連想してもまだ墓の概念などありませんでした。京都の轆轤町なども、平安時代はこの地が遺体の遺棄場所になっており、その辺りに骨が転がっていたからつけられた名前です。平安時代の写真でも残っていれば、カタコンベと共にいい教材になったんですが・・・残念です。

葬式仏教が形を成して墓が出来出したのは、キリスト教の禁教のために檀家制度が取られた江戸時代以降です。そこで面白い現象が起こります。私の大学時代の友人の出身地の滋賀県の北部では、荒れ果てた村郊外の死体の埋葬地と、整備された葬式仏教ビジネスの「先祖代々の墓」は別々という状態が最近まで続いていました。これを両墓制といいます。汚れた病原菌の媒体の死体の遺棄と葬式ビジネスの先祖への信仰が合理的?に共存していたのです。

その他、この手の遺産

ヴェスピオ火山で灰の下になった街としてはポンペイが有名ですが、ポンペイはだだっ広いだけです。なぜなら、ポンペイは人間や動物が片づけられた後を公開しているからです。本当に面白いのは、ポンペイから数駅離れたエルコラーノにあります。ここでは、廃墟の内部の人間を整理する前の遺跡が見られます。ご覧になりたい方はどうぞ!

問題の画面は3:48からありますで。これが、本当のポンペイでございます。

最近の子供たちを見て

彼らは死に接することが少なすぎます。核家族で、祖父さんや祖母さんの死も身近にはない。それに、長寿化で子供が大人になってから亡くなることの方が多い。死体も見たことがなけりゃあ、墓も身近にない。

私たちの世代以上に、最近の子供は死を知らない。死を身近に知っていたら、もう少し焦って、切羽詰まって生きるんじゃないかと思うんです。そういう意味で、墓が町中にあり死と共存している京都は面白いです。

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