ハラスメントと入試と塾が抱える辛抱の度合い

ハラスメントって?

最近は、様々な言葉をひっつけて○○ハラスメントが大流行です。もちろん、上司が人事権を盾にとって女性に関係を迫ったりするのはハラスメントでしょうが、人事権を盾に取らない業務命令って何があるんだろう?って私は思うわけです。

もちろん、中高年相手にメチャを言って自主退職を迫ったりするのもあるでしょうが、私が昔から思っていたのは、パワハラって辛抱の違いの問題が大きいんじゃないのかってことです。

千差万別、驚くほど違う辛抱の度合い

私も、ある程度の高校から、ある程度の大学に進み、修士に行き、企業に勤めましたから、当時は「辛抱」の度合いなどだいたい周囲の人間は似たりよったりだったわけです。大抵はお互いが納得できる努力をするという前提で、学習や研究そして仕事の話になるわけです。

ところが、塾を始めて「これは一体何なんだ!」「こんなのが一杯いたら、日本って将来ないんじゃないのか?」から始まり、「辛抱や努力って、人それぞれこれだけ違うんだ。」と分かったんです。

上は下を分からない。下は上を分からない。

だから、努力してきた人間には、努力してない人間は怠け者に映り、厳しい指導が行われるわけです。一方で、努力してきていない人間は、相手が無理を言っているだけに映ります。努力してきた人間は、これしきのことがなぜ我慢してできないのか理解できないからサボっているだけに見えますし、努力してきていない人間には相手がどれだけのことをしてきて「頑張る」のラインがどこに有るのか見当がつかないから虐められているだけに映る。

だから、バブル期やここ数年の新入社員のように通常ならその企業では取らない社員を採用したら、従来の社員と辛抱の格差から摩擦が起こり、パワハラが大流行する。あるいは、12歳からまったく頑張ったこともない頭の中お花畑の内部進学の若者を大学名とノリのいい面接だけから選んでしまった場合に、配属先で「コイツら何なんや!」「こんなん採る人事アホか!」が起こる。

パワハラは克服不可 塾でも同じです。

それに、不思議なことに、学校でも塾でも、時には大人の職場でさえ、隣りに座っている人間がどれだけの事をして今の成果を掴み取っているのか、努力をしていない人間には分からないんです。おそらく、自分の経験外のことだから測る尺度を持ち合わせていないか、気楽に生きてきたから他人の苦労など見えていないかどちらかだと思うんです。だから、パワハラは乗り越えられずに、いつまでもメチャを言われているとしか思わない。

これが若者が不満を言うハラスメントの大半の原因じゃないかと思います。だから彼らは克服できないんです。これは塾の指導でもまったく同じです。だから、私は体験授業をして、ある程度辛抱がある生徒しか取りません。あとでどエライ目に会いますから。

試験に「ハラスメントだぁ!」は通用しない

相手が上司だと、50点という人事査定をつけられ、人事評定に酷いことを書かれたら「ハラスメント」だとわめくこともできるでしょう。そこには曖昧な「人間の評価」が入るから、そのせいにできるんです。でも、模試や入試で50点という得点がつけられ、成績表に判定Eなんて酷いことを書かれて入試で落とされてもハラスメントにはなりません。

「人間の評価」は介在しないから、イチャモンを付けられないんです。逆に言えば、辛抱や努力より人間関係が得意でそれで乗り切って来た人間にはペ-パーテストは不平等に映り、「テストだけで人間を判断するのは・・・」なんて入試改革をいい始める。

努力できる人間にとっては試験は神である

私は、努力できる人間にとって、「人間の評価」が介在しないペーパーテストは公平が担保された非常に素晴らしい評価方式だと思います。ヘタに「人間の評価」が介在し「彼は見込みあるんだよね。」的な評価こそ「パワハラ」だと思うんですよ。頑張って結果を出しても、最後は好き嫌いで決められるのは、最悪のパワハラです。

だから、私は一時期は流行った「大学の先生の面談で入試を決める」なんか大反対です。あれほど社会経験がなく人を見る目がなく、おまけに狭い世界の中で生きてきて自分が最高級の人間だと思い込んでいる変人たちに面談で他人を評価させるなど、ありえない。これは22歳で修士に入り、28歳社会人経験ありで企業から博士課程に3年間派遣されて、大学というものをつぶさに見てきた私が断言します。入試パワハラだらけになります。

最後に、努力できるキミ、学歴だけは公平にキミを評価してくれるということを忘れないで頑張ってね!

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。