卑弥呼から南京大虐殺を考察する/休日に考えた日本史
卑弥呼とは呼ばれていなかった?
Wikipediaによると、卑弥呼とは『魏志倭人伝』等の中華の史書に記されている倭国の王(女王)で、邪馬台国に都をおいていたとされる。
卑弥呼は中国の歴史書に書かれていた名前です。この卑弥呼も邪馬台国も、「卑」や「邪」など、差別的な漢字が使われています。なんで、自分の国の女王や国名に卑や邪という文字を使うんでしょう?おかしいと考えたことはありますか?
残念ながら、最近まで私はありませんでした。当時の日本人は、彼女や自国を卑弥呼や邪馬台国と記述していないことは、中学生でも教えられていることなのにです。なぜなら、当時日本には文字はなかったから、こんな自虐的な文字を使おうにも使いようがなかったんです。
この名称は、中国の当時の魏の役人が、日本からの使者の話をもとに記載したものです。文字のなかった使者は「himiko」という発音で中国人に話していたにすぎいないのです。
「himiko」とは?
漢文の通り中国語は漢字を音読みで使います。だから「himiko」と呼んでいた小さな島国の文字もなかった原始的な小国の女王を、差別的なニュアンスを使って書き留めたと考えるのが自然なのではないかと思うのです。
卑弥呼を意味を捉えて読み返すと、卑しく、広く行き渡る、呼びかける、という意味です。卑弥呼の仕事は中国でも紹介されていたでしょう。「神託を広く呼びかけ国を治めていた。」というのは弥呼の通りです。そこに卑をつけてディスったのではないかと思うのです。
後に日本に入ってきて日本語の意味に合わせて使われだした漢字で「神託を呼びかけるもの」を書き表すと巫女です。卑弥呼の「ひ」は「日本」の日です。すなわち、卑弥呼は日本の巫女なのではないのか・・・と解釈されるわけです。けれども、当時私たちの祖先は、祖国を倭国と呼び、日本とは呼んでいませんでした。
「日出国」という言葉にもある通り、日は太陽の意味もあります。太陽というのは、日本の神様のおおもとになった女神、天照大御神のこととも捉えられます。すなわち、日巫女には、天照の巫女という意味で日本では使われていたというお話が最も適切なわけです。
では、なぜ日巫女は日本を従わせることができた?
だから、卑弥呼は天照大神の神託を預かる巫女としての役職名であり、個人名ではなかったのではないかと推測されます。ということであれば、卑弥呼が女王だということはおかしいことになります。小国の権力者たちが巫女や信託をクッションにして上手く権力関係を保っていた、だから巫女の神託に従っていたと考えるのが、一番おさまりがいいのかもしれません。
それこそ、天皇というシャーマニズムの神官が、権力のバランス装置になって、欧州や中国のように大戦争や大虐殺が行われてこなかった日本でこそ、日巫女はふさわしい役職であり呼び名だと思います。
日本人の性根って・・
こういうディスりを歴史定事実と認定し疑問も持たない日本人の心根が、今の南京大虐殺や徴用工、慰安婦問題として、中国や韓国など日本人の性根をよく知る隣国に利用されているんだと思うんです。