グローバリストの選択/先生って本当に忙しいの?
英語を教える必要がなかった生徒4人
私は芦屋で塾をして20年以上になりますが、その中で英語を教えたことがない生徒が3人います。
1人は国際中等の生徒で、父親がアメリカ人の生徒。ほぼネイティブです。2人目は葺合高校の国際科の生徒。幼稚園の時に芦屋インターナショナルスクールに通っていた生徒で、日常会話なら不自由はしません。中学の時に英検の準1級を取ったはずです。3人目は、父親の駐在で中学まで外国で暮らした同志社国際の帰国子女。2人目の葺合の生徒と同レベルです。
そして4人目は、塾でほぼ自己学習をして、葺合の国際科に進んだ生徒。中学時代から学習方法や参考書や問題集は最適なものを指定し、その通り学習し、塾で教えることは一つもありませんでした。高校でも、同様に塾の指定通り学習を進め、センター入試のスケジュールも塾で組んだ通りきちんと仕上げました。他教科は教えましたが、極端に得意な英語は教えたことがほぼありません。この生徒も中学で英検2級を取ったはずです。そして、センター入試では英語では97%ぐらいの正解を取ってきたと思います。
努力家のグローバリスト
この4人目の生徒は、全教科塾の指導通り学習し、センター入試で85%以上の得点を取ってきました。
ところが、本人の希望は大阪教育大学の小学校の過程・・・イヤイヤ、どうせなら神戸大の発達科学にしたら? いや、神戸大の経済なんかでも・・・と私も周囲も言ったんです。
ところが、本人は譲らず、親も最後は根負けして大阪教育大学に、二次などほぼ無試験状態で合格してきました。
ではなぜ、この優秀な生徒が大阪教育大学にそれほどこだわったのか?
グローバリストの選択
彼の父親は、最近パワハラ自殺でも名を馳せた電機メーカーの系列企業に勤めていました。勤務は過酷を極めていたそうです。一方、母親は小学校の先生でした。
自分の両親を見比べ、彼が言ったのは「父さんのようになりたくない。」でした。両親を間近で見てきた彼にとっては、小学校の教員の勤務など天国に思えたのでしょう。だから、彼は「教育志望」でも、「子供が好き」でもなく、日本企業の過酷さと公務員の仕事ぶりを見て教員を決めたのです。商社などへの道でもなく、英語の必要もない小学校教員の道を選んだのです。
じゃあ、なぜ英語の力を使える中学校や高校の教員を選ばばなかったのか?「クラブ活動が面倒。」と言うのが彼の回答でした。グローバルな労働価値は、年収数千万円のほんの少数のエリート以外は、「労働は悪」です。ウサギ小屋に住んで、コロナの中満員電車に揺られて、サービス残業が当たり前の日本の会社員など、英語ペラペラのグローバリストは選択しないんですよ。
外資系?・・・それも、父親の仕事ぶりを見ていて、彼の選択にはなかったみたいです。神戸大の発達科学を選ばなかったのも、「教員になるのなら大阪教育大学でも同じ。配点の少ない二次の小論文しかないリスクの少ない大阪教育大で。」と言うことでした。
教員は過労死寸前まで過酷な労働を強いられていると言いますが
彼らのしている授業、作ったテスト、子供への指導を見ていると、そんなことは思えないんですよ、大変じゃないから、放課後にあれほど熱心にクラブ活動できるんでしょ? 私なんか、塾終わったらヘロヘロで飯食うのやっとですで。普通の会社員もそうでしょ? 仕事終わってから毎日スポーツジムなんて行く気力が残っている仕事してたら、出世なんかできまへん。
その様子が書かれているのがこういうニュースです。「日本の教員は世界一の長時間労働なのに、そのうち授業時間は半分以下」。この長時間労働って、雑務や書類仕事って書かれていますが。学校での拘束時間でしょ? その間に、授業方法や子供の指導を考え、会議していたら、あんな授業やあんないじめ放置にならんでしょう。
授業なんて、教科書会社の指導書に書いてあるのを板書するだけ、会議って言う割には他教科の宿題の量も把握できていないので生徒に過多な宿題を押し付けることも多い。もちろん、虐めの情報など共有はない。書類仕事って言ったって、そんな毎日数時間も必要な書類が各教師に教育委員会や文科省から降りてくるの?通知簿にも、ほんの数行当たり障りのないことを1学期に一回書くだけでしょ。宿題を提出させても、どうやったかなども吟味せずにハナマルのハンコ押すだけでしょ? 何が忙しいんでしょう?
その忙しいって、役所の窓口で9時5時の勤務してる派遣社員を「公務員労働」の比較対象にしてるんじゃないでしょうね? 上級職の公務員じゃあ、霞が関でも地方公共団体でも、並みのサラリーマンなんか楽勝って言うくらい働かされますで。
彼らの授業を20年以上も生徒を通してみてきた私から言わせると、労働環境改善の主張の前に、一番大切な授業をもうちっとちゃんとやれ!と言いたいですね。あれで「授業の準備が大変です。」なんて、よく言えたものだと思います。毎年毎年同じこと教えてるのに、あの授業の体たらくは、何やねん。
「もうちょっとちゃんとやれ」については、具体的に明日書きます。