小さな兄妹連れの体験授業/幼稚園の遠足考
ツイッターで下のような投稿があり、思い出しました。
マクドナルドで泣いている赤ちゃんを夫があやしている姿を見ながら幸せそうにしている奥さんを見て思わずほっこりしたという投稿がありました。フォロワーから、【泣き声が迷惑になりそうな場所に連れてくる親が悪い、静かにできない年齢の子供を連れてくるなんて周りに優しくない】 という引用がついて、投稿者は「勝手に色々考えてたw この人も自分が経験したらきっと変わるのかもしれないなぁと。変わらないかもだけど。自分が経験しないと、その視点を手に入れられない事ってあるあるな気がする。ここは人によって想像力も色々だし、これは想像できるけど、あれは全く想像出来ないとかもある。」と返していました。
私の見解は両者とも違います。「マクドナルドで赤ん坊の泣き声にウダウダ言う方が悪い。けれど、これが大人同士の会話を楽しむそれ相応のカフェやレストランなら、赤ん坊の泣き声は迷惑である。そういう場所に親は泣き騒ぐのが商売の赤ん坊や子供を連れてくるべきではないし、店も入店させるべきではない。」です。
育児の優越感は独善を生む
この投稿者の意見のように、子供を育てた余裕?を振りかざして妙に優越感を持つ方、あるいは子供がどこで何をしようと許容できない大人の心が狭いという子育て中の方も多いようですが、ご自分が真剣な話を仕事仲間としているカフェで、体調が悪くて辛抱ができない病院の待合で、赤ん坊が泣き叫びだしても優越感に浸れるんでしょうか? 小さな子供が叫び声を上げながら走り回っても常に広い心でいられるんでしょうか?
想像力が欠如しているのは、こういう方たちかとも思うんです。きっと独身時代におしゃれにカフェで楽しんでいた頃、あるいは自分の子供が受験世代になって周囲の子供の騒音に迷惑し出したら、老齢になって体調が思わしくなく子供の甲高い声がしんどくなってきたら、こういう方たちの方が「子供うるさい」と言った、あるいは言うと思います。
だって、他の世代や異なった状況の方々に寄り添って立てないんですから。子育て中の自分の感覚で物を言ってるだけだと思うんですよ。だから、自分の状況が変われば、またその状況だけを正当化したことを上から目線で言う。
そして、最も愚かなのは、子育ての優越感の中で、そういう自分を分かっていないことです。
塾での兄妹連れの見学や相談はOKです。でも観察させていただきます。
塾にお子さんを連れて来て相談や体験授業をするとき、幼い兄弟がいて連れてこざるを得ない方もいらっしゃると思います。だから、私はそういうことは気にもしていません。
ただ、目の前の生徒の受け答えと同時に、今の状況が分かっていない幼い兄弟の立ち振る舞いは十分観察させていただきます。要するに、躾が行き届いているかどうか、それがお預かりする生徒の学習にどういう影響を与えているか見ているということです。
幼い兄弟が自分の相手をしてくれないから、私と親御さんの話をたびたび遮り、親御さんが「仕方ないわね。」と子供をあやしながら話そうとする場合、あるいは受け流している場合、大抵は上の子の成績は良くなく、学習態度もいい加減なことが多い。
隠し事のない小さな子供の行動と、いい事ばっかりおっしゃる親御さんと、緊張して猫を被っている上の子供の符合具合いを見ているんです。
幼稚園の遠足から見る親の志向
私のような部外者が幼稚園や保育所がどのように運営されているか見ることは難しいです。でも、それがよく分かる機会があります。幼稚園などの遠足に鉢合わせした場合です。
例えばこういうことがありました。六甲の森林植物園で、同日に数組の幼稚園の遠足に鉢合わせした時のことです。ある幼稚園では子供に好き勝手歩かせ、他の人が広げている弁当の横を平気で通ったり、三脚を構えているカメラマンの三脚にバンバンぶつかりながらワラワラ通ったりと、とんでもないことをさせています。
その子供たちが好き勝手歩き走り回っているのは、大きな池の横の歩道なわけです。迷惑であるばかりでなく危険でもあります。私は、「もっときちんと管理せいよ!」と保母さんを睨むと、めっちゃキツイ顔で睨み返されました。
こういう幼稚園に通わせる親の頭が分からない。だって、このまま小学校に上げて、小学校でも好き勝手して成績も上がらず中学受験塾でしごかれもしないのなら、 「公立中学や中堅高校・私立の生徒に必要なことは学習指導ではない」「公立中学の下半分の落ちこぼれ感がハンパない/落ちこぼれた生徒の見分け方」のような中学生を育てることになるからです。
まあ、キチンとし過ぎも可哀そうですが
一方で、キチンと列を組んで整然と歩いている幼稚園もありました。小さな子供のことですから、遠足ではしゃぎたいでしょうし、行き過ぎだと私は感じました。
私としてはこの中間ぐらいでいいのではないか、ポイントポイントで先生がキチンと指示する程度でいいのではないかと思いましたが、そうすると子供はいつの間にか好き勝手し出して統制が取れなくなるんでしょう。だから隊列を組ませる必要があるのかもしれません。
だって、中高生を預かる塾でさえ、ひとりの勝手を許せば、多くの生徒が追随して統制が取れなくなるからです。
私の経験から
前者のような自由奔放な幼稚園に預ける親の子供は、ロクなことにならないと思います。マクドナルドなどでも、度を越して騒ぐ子供を放置して、それを微笑ましい、あるいは「のびのび育てる」と思っている親の子供など、ロクなことにならない。
躾が必要な幼稚園児や小学校の段階で、自由放任などあり得ない。その自由放任がデフォルトになって、それ以後はズボラでダラケたことになります。「公立中学や中堅高校・私立の生徒に必要なことは学習指導ではない」というようなことを中学でしないといけない子供の予備軍を作っています。その結果、「公立中学の下半分の落ちこぼれ感がハンパない/落ちこぼれた生徒の見分け方」になるでしょう。
自由放任など、キチンと躾けをして、自分の将来にまともな責任を持てるようになった高校生くらいになってから許すものです。高校生でも「ツーブロック禁止の校則に賛成します/髪は女の命信仰について」に書いたように髪型を規制しなければいけないような高校生には、自由など与えるべきではない。まだ躾が必要だからです。
子供を育て万能感に浸る親は都合の良いお客様
子育て中の親に喜んでもらえるようなことを書いてある雑誌や記事を自己肯定のために読み漁り、結局は親がうれしい楽しい満足なだけの自意識を振りかざして上のツイッターのように自己武装しだしたら終わりです。
教育・育児業界や評論家からのこの手の情報は、一番最初に書いた子供を育てて妙に自信満々になって自分の考えが正しく、正義であり、絶対である母親に媚びて商売をするために書かれているものです。正しい情報を与えようと書かれているものではない。だって、そういう母親が多くなってきているんですから、ビジネスのベクトルは当然そっち向きになる。こんな皮肉たっぷりのことを書いている塾には誰も来ないんです。
でもね、最も愚かなのは、子育ての優越感の中で、そういう愚かな人間が教育産業などからバカにされた扱いを受けてお金を毟られているのを分かっていないことです。こういう皮肉に耳も貸さないのなら、 子供が中学生になって思い知ることでしょう。