テストという絶対評価の好き・嫌い/人間関係の相対評価で成功した人の勘違い

テストの点数だけが全てではないという人々

こういう親御さんも多いです。中には学校は集団生活を学ぶところで、クラブ活動は大切だと言い切る方までおられます。こういう方々は、自分の人生体験の中からそういう結論を出しておられるのででしょう。だから、他人がとやかく言うことではありません。

こういう方々は、おそらく、仕事の内容などより、その仕事にまつわる人間関係などから仕事や収入が入って来る、あるいは「人間性」とか「管理職らしさ」というあいまいな評価で出世されていることが多いのかもしれません。

いわばテストの絶対評価ではなく、人間関係の相対評価の中で生きている方々です。仕事の成果などというものは上司の相対的な評価・好き嫌いが絶対入ってくることもよくご存じなわけです。

クラブ活動などでも同じでしょう。上手な生徒・指導力がある生徒がキャプテンに選ばれるとは限らない。顧問に好かれている、なんとなく偉そうでリーダー格が選ばれる場合がほとんどです。

相対評価で成功した人々の勘違い

そうであればそういう道でお子さんが生きていくことを指導すればいいわけです。「先生に好かれる態度」「偉そうな振る舞い」を帝王学で教えればいい。

クラブ三昧で勉強もしないお子さんがテストもいい点数は都合がよすぎるし、「指導方法さえよければ」と塾を変わって解決というのも都合がよすぎる話です。お子さんは残念ながらクラブや遊びと学習を両立できる能力は持ち合わせていないのだから、どちらかを選択しないといけないわけです。

ところが、人間関係という相対評価で成功した人の多くは、それが仕事の実力という絶対評価で成功したと混同されている場合、あるいは都合よく解釈されている場合がままあります。

「オレは頑張ったから成功した。失敗する人間は頑張っていない!」というアレです。多くの成功は「頑張ったうえに時流や合う上司とのめぐり逢いなどの運があったからで、頑張ったからと言っても成功するわけでもない」ということを完全に忘れて、「だからオレは偉いんだ、エッヘン。」になってしまっている。

だから相対評価と絶対評価の混同が起こる

だから、こういう方では、「クラブで人間関係を学習している」=ほとんどクラブで遊び惚けているお子さんのテストの点数が酷いことが納得できない方がおられます。成功している自分の子供の成績が許せないんです。

そればかりか、原因をキチンと考える絶対評価的な志向もなしに「なんでやねん!お前やっとけよ」と他責で済んできたからだとも思うのです。

だから、お子さんのテストの答案を吟味することもなく塾と話し合うわけでもなく、得点だけを見て「じゃあ、違う塾で」と他責にするのだと思うのです。漢字や基本問題も出来ていないのは、他責ではなく、明らかに自責のはずが、それも検討せずにすべて他責にする。

自席と他責、絶対評価と相対評価の区別が、自分の成功で分からなくなっている方も多い。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。