中学1年生と高校1年生にある断絶~コロナ後しか知らない世代

ある日の夕方、教室でのことです。

中学1年生が、塾に持ってきたパンを美味しそうに食べていました。ミドリゼミでは、他人の邪魔にならない限り、飲み食いしながらの学習はOKです。遠方の私立や高校に通っている子供では帰宅途中によることも多く、塾が終わるまで何も食べさせないのは可哀想そうなだけではなしに健康上も悪いでしょう。

そこで、この子供は結構豪華な総菜パンをおいしそうに食べていました。私は「それおいしそうだね、いくらしたの?」と聞くと、あっけらかんと「400円」と返ってきました。

「いまのパン屋さんのそれなりの総菜パンなら、確かにそのくらいするよな」と言うと、その生徒は「昔はいくらしたんですか?」と聞いてきました。私は「その総菜パンは豪華だけれど、昔は普通の菓子パンや総菜パンなんて、100円からせいぜい200円代だったんだよ」と話すと、その子は目を丸くして、完全に「きょとん」とした顔をしました。

悪気も疑いもなく、本当に不思議そうな表情でした。その無邪気な反応を見た瞬間、私は時代のギャップを感じました。

コロナ禍が引いた「金銭感覚の境界線」

いまの中学1年生(2013〜2014年生まれ)が小学校に入学したのは、ちょうど世界が一変した2020年春のことです。マスク生活の中で学年が上がり、自分でお小遣いを握りしめて買い食いや買い物を本格的に始めた頃には、すでに急激な円安と相次ぐ値上げの嵐が吹き荒れていました。

彼女たちにとって、「パン1個350円〜400円」「ペットボトル約180円」という世界は、物価高ではなく最初からそこにある「世界の初期設定」なのです。

一方で、高校1年生はどうでしょうか。

彼らはコロナ前の「平時」の日本を、自分の足と財布で経験しています。「ワンコイン(500円玉1枚)あれば、コンビニでパンとジュースを買ってもお釣りがきて、お菓子まで買えた」という身体感覚がまだ記憶に残っています。だからこそ、今の400円のパンに対して「高すぎる」「昔と違う」という真っ当な違和感や抵抗感を持ちます。

わずか3歳しか離れていない「中1」と「高1」の間には、私たちが想像する以上に深い「社会認識の断絶」が横たわっています。

レストランすらも贅沢品になる

最近、餃子の王将の売上、利益とも下降のニュースが出ました。材料費や人件費の高騰から値上げはしかたがないことかもしれませんが、それが庶民の普段使いの許容度を超えたからです。

近い将来、庶民が気軽に入っていたファミリーレストランや中華、そして定食屋などは消え、年に数度しか入れない一人数千円支払うレストランが街中にはポツポツとしか残らないかもしれません。

なぜなら、ヨーロッパなどはもうそうなっているからです。気軽には入れたビストロレベルのレストランは全滅で、後は観光地でセントラルキッチンで出来た料理を温めるだけでバカ高い値段を取る見栄えだけは良いレストランと、街中ではポツポツとそれなりの値段のレストランしか残らないようになっています。現地の人はスーパーマーケットで「それが晩飯なのか?」というようなパスタとパスタソースだけを買って帰ります。スーパーの生ハムもチーズもコロナ前に比べて倍近くなって、家庭での夕食ですらケチらないといけない状況で、バカ高くなったレストランなど行けるわけがありません。

これは京都の四条河原町や烏丸に行けば現実のものとなっています。外国人向けのインターナショナルな外装のレストランだけが目立ち、そんなぼったくり価格の店には日本人は寄り付きません。一方で、良心的な店は材料高騰や家賃高騰で閉店し、その後にこういう店が入り、日本人が楽しめる京都ではなくなりました。キャリートレードが巻き返し円高になって外国人観光客が来なくなれば、来ても財布のひもを締めれば、京都の中心街は壊滅的なことになるでしょう。

旅行の景色すら書き換わってしまった社会

この歪みは、パンやレストランの値段だけにとどまりません。家族と出かける「旅」の景色すら、完全に別のものに作り変えられてしまいました。

かつては近場の温泉地へ行けば、1泊1万数千円で温かい料理が食べられて、家族でのんびり畳の上でくつろぐのが庶民の当たり前の楽しみでした。しかし今や、ちょっとした温泉旅館に泊まろうとすれば1人3万〜4万円が当たり前。家族4人なら1泊15万円コースです。

理由は食材や光熱費、人件費の高騰と人手不足もありますが、安い日本人客を入れるくらいなら、1組でも外国人客に高い値段で宿を提供した方が儲かるというインバウンド政策の慣れの果てです。

「それならもう少し手頃な宿を」と探せば、今度はどこへ行っても目につくのが、「地方創生」や「古民家再生」の名のもとに作られた同じような古民家再生の宿です。古い民家を補助金で手直しし、杉などの木材を黒っぽく塗った板張りにしただけの、どれも同じ顔をしたリノベーション施設の民泊です。そこには女将もいなければ仲居さんもおらず、スマホでスマートキーの暗証番号を指示されるだけの素泊まりで、それでも平気で1人1万円以上を請求されます。

こうした再生プロジェクトの裏側では、国の補助金を引っ張ってきたコンサルや土建屋が工事費を中抜きし、キックバックを回して自分たちだけは痛手を負わずに売り抜ける。宿自体の稼働率が低迷して赤字になろうが、誰も責任を取らない――そんな大人たちの「利権の抜け殻」のような場所が、全国の過疎地に量産されています。「地方創生」という美名のもとに返済不要の補助金をばら撒き、利権屋と土建屋を潤すハリボテの宿を全国に乱立させたからです。外国人客も来ないような地域でも、この手法は横行していて、booking.comなどに乗せて稼働していますが、ガラガラです。

こういう宿も若い人にとっては当たり前のものになっていくのかもしれません。それまで倒産せずにあったらですが・・・。補助金を使った事業は10年ほどの稼働を義務付けられていますので、その期間が終わったらこんな収益の出ないものからは一斉に手を引き空き家になると思います。放置しても固定資産税などタダ同然です。何なら企業を倒産させれば、もう取られる心配はありません。キックバックで儲かったのだから、後は赤字を最小に食いとどめて、その後は野となれ山となれです。

「当たり前」が書き換わる怖さ——奪われたささやかな喜び

いまの中学1年生にとっては、「パン屋さんのパンは3~400円が当たり前」「温泉宿は1人数万円するのが普通」「安く泊まるなら黒い板張りの古民家に民泊素泊まりで1万円以上払うのが普通」という光景こそが、最初から見えている世の中です。将来、外で食事をするには一人6,000円が当たり前となるでしょう。

彼らは、パン屋へ行き、トレイいっぱいに家族の好きな菓子パンを並べて「どれにする?」と笑い合うあのささやかな買い物の喜びを知りません。少し背伸びしたプチ贅沢として、ふらりと温泉やレストランに出かけ、何の手間もなく極上のお湯と料理を楽しむ日常の潤いさえ、将来は経験することがないでしょう。

そして、この息苦しい現状を作り出した大元をたどれば、世界的なインフレに輪をかけたのが安倍政権が進めた政策のように思います。

「地方創生」という美名のもとに補助金をばら撒き、「観光立国」「インバウンド」と叫んでキャパシティを無視したインバウンド狂乱を煽り、庶民を温泉街から締め出したこと。そして何より「アベノミクス」による異常な異次元緩和で円の価値を暴落させ、輸入コストを跳ね上げた。コロナ後のインフレがそれに輪をかけた。日々のパン1個にすら400円を出さざるを得ないバカ高いインフレを招いたこと――などなど。

その結果として、かつての日本にあった「地に足のついた暮らしの豊かさ」は根こそぎ解体されました。今の中学1年生は、その解体後の日本しか知りません。ヨーロッパなどの中産階級は、日本より一歩先にもうこういう目に合っています。日常生活の生活必需の費用で目一杯になって、衣類にまで手が回らなくなった彼らの服装のみすぼらしいこと・・・

大人は「昔に比べて高くなった」と愚痴をこぼすことができます。しかし本当に恐ろしいのは、「本来あったはずの豊かな選択肢を奪われ、不自由を押し付けられていること」にすら気づけない世代が育っていくことです。かつての基準を知らない子どもたちは、大人が目先の利権とご都合主義で歪めてしまった社会に対して、疑問を持つきっかけすら持てません。

教室で見せたあの中1の生徒の無垢な「きょとん」とした表情がその証拠です。

それは、大人が作り出した歪んだ「新しい日常」を、何の疑いもなく静かに引き受けさせられている次世代からの無言のサインに見えて仕方がありませんでした。

私は将来の首相の座欲しさにプラザ合意を政権や自民党ととの合意もなしに丸呑みして日本の発展を止めた竹下と、首相の座に少しでも長く座りたいからと消費税を倍に上げた一方でアベノミクスを続け国民の実質所得を落とし続け、挙句にはインバウンドで誤魔化そうとした安倍は極悪人だと思っています。就職氷河期を招いた小泉や竹中という世代もあるでしょうが、全体への影響を考えると竹下や安倍の方が罪深いと思う。

いずれにせよ、彼らの子孫がテレビで人気タレントになっているのは、「日本人ってバカなのか?」と思うしかありません。まあこれは私の勝手な思い込みです。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。