子育て論の本質/結局は遺伝子
ジュディス・リッチ・ハリスの理論
ハリスの最も有名な業績は、1998年に出版された『子育ての大誤解』(邦訳は2000年)である。本書はハーバード大学の心理学者スティーブン・ピンカーの薦めによって書かれ、ピンカーは序文を書いている。ハリスはこの本で、人の人格が主に両親にどう育てられたかで決まるという考えに挑戦している。彼女は親の子育て環境の影響を示すと主張する研究を調べ、ほとんどの研究が遺伝的影響の考慮を怠っていると主張する。
例えば、攻撃的な親から攻撃的な子が育ちやすいとしても、親の子育ての影響を支持する証拠とはならない。一卵性双生児は共に育つか、離れて育つかに関係なく、彼らの差異は同じ程度の範囲内に収まる。養兄弟は無関係の子ども同士と同じくらい似ていない。
個性における遺伝の役割は、精神の研究において無視されてきたわけではなかった。しかしながら、一卵性双生児(全ての遺伝子を共有する)の人格ですら全く同じというわけではないので、遺伝が全てではない。そして心理学者は、非遺伝的な要因とは親の養育である、と仮定する傾向があった。しかし多くの双生児研究は、家庭環境と個性の間に相関関係を見いだすことはできなかった。
ハリスの最も革新的な考え方は、家族の外に注目し、子どもの人格を形成する重要な要因としてピアグループを挙げた点である。例えば、移民の子どもは容易に彼らの祖国(彼らの親の祖国ではなくて)の言葉を覚え、親のアクセントではなく仲間たちのアクセントで話す。ハリスは、子どもは親よりも級友や遊び仲間を自分と同一視し、ピアグループに適するように振る舞いを変え、そしてこれが個人の人格形成に最終的な影響を与えると主張する。
要するに、遺伝的要因が大きいということです
ピアグループというと、日本では学校ということになります。要するに、だらしなく育った子供は同じような仲間と徒党を組み、その中で自分たちの価値観を共有して行くのです。公立中学でもやはり成績が同じような連中とグループを作ることが多いですし、クラス分けのある塾や高校では学力別に人間関係は固定化されます。
この時期、反抗期と相まって、大人が何を言おうと子供の心に響くことはありません。「友達が一番大切。」というこの時期独特の価値観のために、同じように破綻に向かって行く仲間との共通意識を親や教師が変えることはほぼ無理です。
そうしているうちに最終学歴まで固定化されて、ほぼその子供の人生は決まってしまいます。
だから、子育て論など無意味
私も多くの子供を見てきましたが、子供なんか結局、その子供なりにしか育ちませんよ。私は概ね、上の話には同意します。親が操縦できるのは、せいぜい中学1年ぐらいまでです。その後は、その子供の本質通りにしか育ちません。
だから、無理矢理進学高校に放り込んでも、塾に突っ込んでも、ダメな子はダメです。そんなことは他人にはまるわかりなんですが、親だけが分からないというか、分かりたくないんですよね。
だから、見合い結婚の方が上手くいく
見合いは相手の親を見るためにあります。取り繕っている本人など見合いでも、恋愛でも、いくら吟味しても意味はない。こちらを見定めようと、自分を取り繕うのを忘れている親を見れば、その親の子供のことなど丸わかりになるというわけです。
だから、親と子を見比べて「これなら大丈夫そうだ。」と選んだ相手は、恋愛で取り繕った上辺にのぼせ上っている最中にした結婚より、その後の長い人生で連れ添うのに大きなトラブルは起きない。
見合い結婚も、ジュディス・リッチ・ハリスの理屈の上に立脚しています。