読書好きの文学少女は国語の成績が悪い・・・では解決策は?

本を読んで成績が上がると言う誤解、国語の成績には3ランクある。

まず最初のランク、漢字や語彙能力に関しては文学少女は良い点数を取るはずです。だから、通知簿3を公立中学で安定して取りたいなら、読書は悪い方法ではありません。

けれど、語彙能力を身につけた上で挑戦する次のランク「長文読解」についてはどうでしょうか? 私は本好きの子供で国語の成績が「かなりいい」生徒をあまり見たことがありません。読書は「長文読解」には何の役にも立たないと思っています。「国語の学習の基本 読書とは違う」に書いた通りです。

なぜ、読書は読解能力を育成しないか?

理由は二つあります。まず最初は、いわゆるベストセラーやライトノベルばかりを読んでいる場合についてです。長文読解の学習というのは、作品を読んで感動したり自分の感想を持ったりする感受性を育成するものではありません。まず、この点を分かっておられない親御様や、時には教師や講師まで多いから、「読書は国語の育成になる」という誤解が生まれるんです。

国語は、作者の意図を正確に読み取る力を育成するためのもので、それ以上のものでも以下のものでもありません。ですから、読者が自分本位に読み取る読書をどれだけしようが意味はないんです。いわば、音楽をいくら聞いて感動しても、楽譜を読めて作曲技法やアンサンブルを解析できるのとは全く違うのと同じです。

では、なぜ読んでいるだけでは読解力は育成されないのか?

これは国語の教科書やテストの文章に、読んでいるだけでは正確に読み取れないものを選んであるからです。いわば、読者が作品を読んで当然抱く感情や設定と、作者が意図している感情や設定に乖離がある文章が選ばれているんです。だって、将来会社で上司のまとまりのない書類を読む訓練として、作者の意図を正確に読み取るのが国語の勉強なんですから。だから、国語の教科書には、聞いたこともないような作者の「下手くそ」な文章が選ばれてあるんです。読者のイメージ通りに作者が意図できてある優秀なベストセラーなど、国語の訓練にはならないんです。もちろん、教養的な意味で日本を代表する昔の大作家の名作は載せてはありますが。これも「国語の学習 進め方と問題点」に書いた通りです。

いわば、国語の文章は読者目線から読んでいるだけでは、作者の本当に言いたかったことを捉えにくい「引っ掛け問題」ばかりが選ばれてあるんです。

ということで、作者目線で鳥瞰できるかが国語のポイント

だから、作品の中に入り込んで同調するような「読者目線」の読書をいくら繰り返しても意味はありません。だから、そういう習慣が身に付いている「文学少女」は国語の成績が悪いんです。上司の立場や会社の状況を分からないと、部下目線だけで読んでいては上司の書類が読めないのと同じです。

この「鳥瞰する」という心持は、中学生にはいくら言っても難しい作業です。まだ自分中心の目線しか持てない子供ですから。だから、塾でいくら教えようと、中学生の国語の成績は上がりにくく、多くの塾は知識や解き方を教えればある程度は何とかなる数学や英語、社会や理科なんかを国語に優先して教えるわけです。

では、解決策は?

逆に言うと、子供にいくら国語の勉強をさせても成績を上げるのは難しく、正直私は「脳の発育」=「精神年齢の発育」以外は解決策はないのではないかと思ったりします。だって、国語の成績が悪かった大人に読解のポイントを説明すると「ハァ、ハァ、なるほど。ってことは、これが正解ってことですね。」って簡単に納得しますもん。

だから、センター入試の選択肢の問題など、いくら予備校で解説を受けても一向に理解できない生徒もいれば、簡単な問題集を一冊やって1,000円ですべて解決できる生徒もいます。学習内容の差ではなく、成長の差です。きっと、センター入試を失敗した生徒も、20歳を超えた時に解説されたなら、一発で理解するはずです。

だから、解決策は「うまいものをいっぱい食って、寝る。」以外にないのかもしれません。

三番目のランク

これは社会知識と体験によるものです。「国語の読解力とは? 塾では対処のしようがないんですよ!」に書いた通りです。

高校生にもなってあまりにも時事に疎い子供は、説明文などは読めません。だって、その説明文の題材に横たわっている社会問題を分かっていないんですから読みようもないんです。これ、私立大学を受験するような偏差値55以下の子供は、ほとんどこれに当てはまります。ニュースを見ても、ワイドショーを見てもチンプンカンプンな子供に、時事を取り上げた論説を読ませるのが無理なんです。いくら日本語は分かっても、一向に理解できない。一般人が日本経済新聞の株式欄を読んで「ようわからん」と言っているのと同じです。

さらに、経験不足というのは、例えばティーンエイジャーが川端康成の「古都」や「伊豆の踊子」は理解できても、芦屋所縁の谷崎純一郎の「卍」の恋愛表現は分からないのと同じです。爛れた恋愛経験の二つや三つ経験しないと理解できません。でも、大学受験のために経験すると言うのは、お勧めしません。大学を卒業してからにしましょうね!・・・でも、「古都」の日本語を美しいと思わない高校生なら、私的には残念な感性と知性しか持っていないとは思いますけど。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。

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