米大学が学力テスト回帰?日本の難関大も実は推薦より一般入試
近年、教育界やビジネス界では「学歴やペーパーテストの点数よりも、主体性や人間性、個性を重視するべきだ」という議論が活発に行われてきました。AO入試(総合型選抜)の拡大や、社員採用における「人物重視」への移行は、その代表例です。
しかし、この人物重視の先輩であったアメリカでは明確な見直しが始まっています。そして、そもそも日本でも「推薦入学=人物主義」重視というのは、一流大学では昔も今も募集人員は少ないのが現状です。
アメリカの大学の学力テスト重視への転向をみると、日本の一流大学でもこれ以上の推薦入学枠の拡大はないのではないかと予想されます。結局は「人物重視」とは、「ペーパーテストだけで入学を決めるのはいかがなものか」という人たちや社会的風潮に対する大学側の宣伝でしかないということもよく分かります。
「半数以上は推薦入学」と言って小論文添削などで顧客を集める予備校の嘘を説明しましょう。
人物評価の限界と「学力・実績回帰」への歴史的必然
かつてアメリカのシリコンバレーを発祥として広がった「学歴や成績は二の次で、カルチャーフィット(価値観の一致)や人間性を重視する」という採用方針は、学歴だけを見ずにその人の能力の本質を見極める丁寧な手法に見えました。
しかし、この方針を長年続けた結果、企業や大学は深刻な課題に直面することになりました。それは、数十分程度の面接や自己アピールといった「主観的な評価」だけでは、入社後や入学後に本当に必要とされる「泥臭い課題解決能力」や「自己管理能力」を正確に見極めることが極めて困難であった、という「そんなこと最初から分かっていたやろ」という現実です・・・アホです。
だからこそ、ペーパーテストという方式が、中国で1300年間続いた官僚登用試験「科挙」でも分かるように、長い歴史を振り返っても、世界を見渡しても受け入れられてきたわけです。ペーパーテストは点数だけを見るのではなく、合格するためにどれだけ頑張ったか、成果が出ないことはあってもも腐らずにどう対策をして努力を継続してきたのかの末に辿り着くものだからです。外面だけを見る面接などより、ペーパーテストの点数の方が人物評価には最適だという判断が、世界中で歴史的にも受け入れられてきたということです「学歴とは何なんだろうか/キチンとした子育てが出来ていれば有名大学に入れる?」「学歴とは何なんだろうか?/少子化と大学の定員から考え」。
その上、面接などではどうしても、個人の好みというバイアスが関与してきます。その上、一次面接をする30歳ぐらいの若手社員に人物の評定の能力などがあるとは到底思えません。結果として主観的な好悪や不透明な選考が横行し、本当に有能な人材が育たなくなり、入社後に「パワハラっすか?」というような社員をの鯖ラテ企業は苦慮しています。
一切の主観を排し、同じ条件のテストを解かせて点数を競う「テスト主義」は、客観的で最も不正が入り込みにくい公平な選考システムとして、歴史的に機能してきたのです。
アメリカにおける「入学テスト必須化」への回帰とテキサスの台頭
現在、この揺り戻しは、先行して「人物評価」を導入していたアメリカで顕著に現れています。
アメリカの名門大学や大手IT企業では、小論文や面接を重視し大学入試や採用から共通テスト(SATなど)のスコア提出を不要とする動きがありました。特に人物評価の経歴重視では、親が莫大な金をNPOに支払いボランティアの要職に就かせてその証明書をもらう偽装などが横行しました。これにより入学・入社した層の基礎学力不足やミスマッチが深刻化したため、近年、MIT(マサチューセッツ工科大学)やイェール大学、ハーバード大学などは、相次いで「共通テストのスコア提出の必須化」への回帰を決定しました「今さら何言ってるの?/推薦入試で合格 学力にばらつき、検証必要 – 日本経済新聞/内部進学はもっとひどい/学歴ロンダリングも、検証必要」。
さらに、この人物本位で有名大学に入学した無能な金持ち子息が増えている現状は、IT企業などの本社や研究施設の移動にも影響を与えています。
近年、テスラをはじめとする多くのハイテク企業がカリフォルニア州からテキサス州へ拠点を移転していますが、これは単なる税制優遇のメリットだけが理由ではありません。嘘や誇張で飾られがちな名門私立大のポートフォリオ(活動実績)を基準とした採用に限界を感じた企業が、テキサス大学(UT Austin)をはじめとする、学力本意で入学し、大学内でも厳格な実力主義のもとで鍛え抜かれた優秀な州立大学の学生を安定して確保するために動いたという背景があるのです。
アメリカにおける創造力測定の失敗と「実力主義」への回帰
かつてGoogleが実施し、世界中で話題になった「ブレインティーザー(脳トレ・とんち問題)」がありました。「ミキサーに閉じ込められたらどう脱出するか?」といった奇抜なクイズで、応募者の創造性や地頭の良さを測ろうとしました。
しかし、この方式は失敗に終わりましす。対策本が出回ることで「解き方を暗記しただけの人」が合格するようになり、さらにGoogleのデータ分析によって、クイズの成績と「入社後の活躍度」には相関が全くない(ほぼゼロ)ことが判明したのです。
その上、有名大学の修士課程で頑張りぬいてきた有能な学生では、「こんなテストで、バカにしているのか?」と試験途中に席を立ったり、そもそも「こんなバカなテストなど無礼だ」と入社を希望しなくなることが増えてきたためです。
この手痛い失敗を経て、現在の採用は「原点回帰」しています。 現在は、エンジニアに実際にコードを書かせるなど、実務の一部を体験してもらう「ワークサンプルテスト」や、一貫した基準で過去の行動実績を問う実力主義の面接が主流です。
「仕事ができるか知りたければ、実際の仕事をやってもらうのが一番確かである」、そしてその方が合格するにせよ富豪かっくになるにせよ納得感も強いという、極めて健全な結論に落ち着いています。
日本の「推薦・特別枠」のリアルなデータ:国公立大の実態
ところが、「人物本位」「自頭」の測定を諦めたアメリカから遅れて、日本では最近大学や教育ビジネスでは「推薦入学」で多様性とか自頭とかまだ言っています。そのことを受けて予備校などでは面接の対応、小論文の指導が新しい顧客獲得のツールとして機能しています。
確かに、定員不足気味の下位大学では実際に面接と多少の小論文で合格出来てしまう大学が増えています。しかし、上位の有名大学ではどうなっているんでしょうか?アメリカのように人物本位や自頭で選んで自爆するバカなことをしているんでしょうか?
日本の難関大学におけるデータを見るとそんなことはないことがよく分かります。
まず、関西の主要な難関国公立大学における「学校推薦型選抜」および「総合型選抜」の定員割合を見てみます。
| 大学名 | 全体定員に占める「推薦・特別枠」の割合 | 主な基準 |
| 京都大学 | 約9.0% (特色入試) | ほぼ全ての学部で共通テスト(約8〜9割)が必須 |
| 大阪大学 | 約17.0% | 大半の学部で共通テスト必須+口頭試問・小論文 |
| 神戸大学 | 約15.0% | 大半の学部で共通テスト必須+提出書類・小論文 |
このように、京大・阪大・神大においては、現在でも定員の8割〜9割以上が従来通りの「一般入試(ペーパーテスト勝負)」です。
さらに、1割から2割未満に設定されている特別枠=推薦枠の合格であっても、基本的には「共通テストでの高い得点(おおむね8割)」が合格の必要条件となっており、結局は一般入試と同等の高い基礎学力が大前提として求められます。
難関私立大(関関同立)の実態:総合型・指定校・内部進学のすべてで問われる学力
「私立大学は推薦や内部進学の割合が多いから、勉強をしなくても入れる」という言説も、実態を正確に捉えていません。
関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)における入学者の主な区分ごとの割合(目安)は以下の通りです。
| 大学名 | 一般入試(学力勝負) | 総合型選抜(旧AO等) | 指定校・附属校・その他推薦 |
| 同志社大学 | 約55% | 約5% | 約40% |
| 立命館大学 | 約55% | 約10% | 約35% |
| 関西大学 | 約50% | 約5〜10% | 約40% |
| 関西学院大学 | 約35〜40% | 約10% | 約50〜55% |
面接や小論文を主とする総合型選抜は、全体のわずか5〜10%程度しかありません。もちろんこれには大学の宣伝要員である野球やサッカーで活躍するスポーツ推薦も含まれます。どうですか?予備校やメディアが喧伝しているより少ないでしょ?
これだけに抑えているのは、大学側自身が「主観的な選考だけでは、大学の学術レベルを維持できる学生を担保できない」と理解しているためです。その一方で、多様性や人物本位の看板を下ろすわけにもいかないという妥協点なんでしょう。
指定校推薦は多いですが、こちらは高校3年間の継続的な学業実績の証明=努力できる力が必要です。推薦入試の大部分を占める「指定校推薦」は、高校3年間の定期テストや成績を数値化した「評定平均(4以上など)」が基準となります。偏差値の異なる高校ごとの評定の差異についても、大学側は各高校の進学実績を数値化した「高校コード」を用いてレベル調整(補正)を行っており、各高校で必要な評定は異なっています。予備校の小論文の講座を買ってなんとかなるものではありません。
5. 「人物重視」は、努力できない人へのキレイごと
では、なぜ世の中はこれほどまでに「人物本位」「人間性重視」という綺麗事を並べ立てるのでしょうか?
その正体は、誰も言いませんが、誰も考えている単純な事実です。「地道な努力を継続できなかった人」や「自分の甘えで学歴を取れなかった大多数の人」に対して、『あなたにも一発逆転のチャンスがありますよ』と耳元で囁く、ただのエクスキューズに過ぎません。顧客層は「偏差値30からの大逆転、ビリギャル」と同じそうなわけです「夏休みの「1日12時間学習で難関大学に」という夏期講習の裏側~ビリギャルの真実と学習量の限界について」。」
客観的なテストという厳しい現実から目を背けさせ、「個性が大事」「人間性が大事」という甘い言葉で包み込む。そうすることで、世間の大半を占める「努力したくない層」からの反発を防ぎ、都合よく人気を集め、学校も企業も自らのイメージを「優しく」取り繕っているだけなのです。
さらに、学校の教官や企業の人事にとっても、この「人間性」という曖昧な言葉は非常に都合が良い。学歴という「誰の目にも明らかな実績」という相対評価否定することは、公平性を担保するどころか、評価する側の「好み」だけで合否が決まる、最も不透明で、最も不公平な「絶対評価」「人事査定」を、キレイな言葉で誤魔化せるからです。
北欧が警告しているゆとり教育やデジタル教材といい、日本は10年遅れている「フィンランド式「自由で創造豊な教育」は下半分で失敗した/フィンランド教育科学庁自ら総括/日本でも同じことが起こっています」。
塾が「地道な学習と確かな実力」にこだわる理由
難関国公立大学であっても、難関私立大学(推薦・内部進学含む)であっても、最後に扉をこじ開けるのは、学力です。
- 地味な計算や暗記、毎日の予習復習から逃げない忍耐力
- 目標を設定し、長期間自分を律して努力する自己管理能力
- 一発勝負のテストにおいて、緊張感の中で成果を出す本物の実力
これらのプロセスを通じて身につく力こそが、将来どんなに社会のトレンドが変わろうとも、自らの力で人生を切り開いていくための真実です。
その上で、本人の向き不向きや成績の良しあしによる推薦や指定校の選択があります。学校のテストは良くても模試などの偏差値が悪い生徒は多い。そういう時には「推薦も考えよう」「論文の指導もする」と子供に則した指導はもちろんします「大学入試で必要な学力は模試の学力~定期テストは良いのに模試がダメな高校生の特徴」
しかし、それは学習から逃げる生徒を「推薦で・・」と、彼らと親が喜ぶことを言うことではありません。まずは、徹底して学力を身に着けさせることがミドリゼミの指導のベースです。


