国立大の英語長文読解

前回までは、禅問答のような文法の考え方について書いてきました。多くの方は「こんな面倒なことを教えるような塾アカンわ」とお考えになると思います。そこで、英語の学習の最終回として、なぜそのような基礎訓練が必要なのか大学入試問題を例にとって解説していきたいと思います。後申し添えますが、私は英語が不得意だった理系です。だから、こういう面倒な学習の必要性が、教える側に立って身に染みてるんです。

文法の裏付けのない長文読解はない

高校の英語では、新しい文法は過去完了や分詞構文などほんの少ししか入ってきません。文法の内容も難しいものではありません。しかし、中学の文法をより複雑な形で学習することになります。だから、中学の文法をきちんと理解できていないとチンプンカンプンになります。そして多くの塾や学校では、中学と高校の読解の較差をキチンと教えることなく「こういう訳になりますよね。」という授業になっているので、自分で埋め合わせするしかないんです。

そして、この基礎学力がない生徒向けに何を言い出すのかと思えば、パラグラフ・リーディングとか訳のわからないことを言っている参考書が多数あります。意味不明なカタカナ英語を使えば客をおびき寄せられるからです。文を読めない人間に、段落=パラグラフごとに意味を掴めって言っても、何の実効性があるのか私には分かりません。

今回は、とある英語の参考書からパラグラフをお借りして解説したいと思います。中学の例と違って、流石に自作はしんどいです。解説は参考書の丸写しではありません。というか、解説など読まずに私が書きました。この手の長文読解集でマトモな解説を読んだ経験がないんですよ。

文法力なしには読めない大学入試長文

Our humanity is by no means so materialistic as foolish opinion is continually asserting it to be. Judging by what I have learned about men and women,I am convinced that there is far more in them of idealistic power than ever comes to the surface of the world.

という、参考書をペラペラめくってみて選んだ文章で長文読解をどう教えるか解説してみます。選択理由は、この文章を読める生徒はおそらく大阪大学に合格できると思うレベルだったからです。

前回も書いたとおり、後から後から修飾が繰り返される英語では、意味を補填しながら頭から読んでいきます。「我々の人間性は」ときてここで面倒な修飾句が入っています。「by no means 意味もなく」という修飾語です。この「意味もなく」は否定構文なのですが、それも分からないとして話を進めます。この語句はとにかく副詞的なのでisというbe動詞の補語にはなりません。補語は形容詞か名詞しか取れません(中学で教えます)。だから補語はso materialistic「とっても物質的」という形容詞を含む語句になります。「我々の人間性は、意味もなく、そんなに物質的である。」ですが、そしてasが来て文章が来ます。前にsoがあったので比較の接続詞かもと考えます。また、このsoはnoに対して部分否定的に考えることもできますし、比較級の一部としても考えられますがここでは、それも気づいていないとして説明します。

後ろの文章も順に読んでいくと「バカな意見が継続的に主張する+it to be」と次に来ます。代名詞itは基本的に同じ文章内、でなければ前文や同じ段落内のなるべく近い場所にある単数名詞を代用します。どこでも良いところの代名詞だったら、読み手が混乱するから、なるべく同じ文章内で使うことが一般的です。この場合ではit=our humanityかfoolish opinionしかありえません。次にそのitがto beなのです。このbeは「~である」というthis isの意味や、「存在する」というI’m hereの意味があります。さあ、どちらでしょうか?

まず最初に考えないといけないのは、比較asを用いた比較の文だとすると主文と同じような内容をなぞっていると考えるのが自然です。となれば、このbe動詞は「~である」という形で「 materialistic=物質的である」 という補語が省略されていることになります。「it=our humanity我々の人間性が」「to be materialistic=物質的である」と不定詞で修飾されていることになるわけです。これをつなげれば、「バカな意見が我々の人間性が物質的であると継続的に主張するのとas=同じくらい」で主部に返って「我々の人間性はby no meansそんなに物質的」となります。

これが本当のパラグラフ・リーディング

それで次の文を読んでみると、もう解説は止めますが、 一番難しいのは前後の文で共通のofの扱いです。 there is far more in them of +the world (idealistic power主語)と there ever comes to the surface of the world +idealistic power の省略形でお互いに補完しあって比較している小洒落た文なわけです。つまりidealistic power はin them of the world とto surface of the worldのどっち?と比較している文なんです。「男と女について学んできたことから判断すると、 彼らの理想的な力がこの世の彼らの中にはもっとある 、この世の表面にかつて現れた以上に。」となります。

するとこのby no meansのnoが否定的な意味合いだとすれば、not so~as構文「ほど~でない」となり、「バカな意見が我々の人間性は物質的であると継続的に主張してきたほど、我々の人間性は物質的ではない」「だから、表面よりも我々の中に、理想主義的な力があるのだ。」と意味が通ります。別にby no meansが否定構文に使われる「~でない」という語句でなくても理解できます。あるいはsoはの部分否定と捉えても、「バカな意見が我々の人間性は物質的であると継続的に主張してきたほど、我々の人間性はそれほど物質的ではない」と訳せます。 構文を把握しながら「この語句はこういう構文の要素だ」と考えると意味が通ると筋道を立てるのがパラグラフ・リーディングです。

文法で読みきれない時のみ意味から考える

最初の文意戻りますが、もしこのbe動詞を「存在する」と考えればitは存在する。すなわち 「it=our humanity我々の人間性が」 存在する。あるいは「it= foolish opinion 」が存在する、ということになります。 「it=our humanity我々の人間性が」 の場合、「バカな意見が我々の人間性が存在すると主張してきたのと同じように、我々は物質的ではない。」となります。これではバカな意見を肯定する意味になります。asを理由の接続詞と考え ても、「我々はそんなに物質的ではない。なぜなら バカな意見が我々の人間性が存在すると主張してきたからだ。 」 とバカな意見肯定になってしまい、意味が通じません。 「it= foolish opinion 」 と考えても、意味が通って行きません。

構文を把握しながら。「この語句はこういう構文の要素だ」と考えれば内容的に妥当であるという読み方こそパラグラフ・リーディングです。文法も考えずに、「だいたいこんな内容」だけで読む生徒がOKなら、私は失職しますし、誰でも大阪大学に合格できます。 入試では、「だいたいこんな意味」で読む生徒が引っかかって内容を取り間違えるように、各大学がレベルに応じて文章を選択してあるんです。だから、「この文章の内容として妥当なものを選べ。」という設問を多くの生徒が苦手としているんです。

ホームページはコチラ

ホームページはコチラ

芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。