クラブ活動至上主義からの揺り戻し/結構なことですが、今度はテストが・・・

ゆとり教育と共に歩んだクラブ活動至上主義

ゆとり教育の推進で盛んになったのが中学受験・学習塾とクラブ活動です。ゆとり教育への不安から私立に通わせる親や塾に通わせる親が増えたというのは理解できます。その結果、文科省の思惑は全く逆の方向に親を動かすことになり、親の教育熱を煽ったことにもなりました。その挙句私立や塾に行かせられない親は「経済格差は学力格差」とまで言われるデマがはびこるようになりました。「進学塾や進学校の生徒が抱える学習問題・・根っこは親です」「進学校の生徒が普通の高校の生徒に追いつかれる理由」に書いた通りでございます。

ところが一方で、公立校を中心に、学習塾や中学受験と相反するようなクラブ活動至上主義がはびこりだしました。これを先導したのは公立校の教師たちです。まるで、公立校に進んだ生徒の学習時間を奪って「経済格差は学力格差」を植え付け、庶民の子供を非正規労働者・低賃金へと落ちこぼれさせて便利に使い捨てようと官民一体になって目論んでいるかのように私は感じていました。

子供は教師に引き込まれてクラブ活動至上主義に巻き込まれ、多くの保護者がそれに追随すよるようになり、「学生の本分はクラブ活動」という状況が平成の間は続きました。

沈静化しつつあるクラブ活動至上主義

私が2年のブランクを経て塾を再開してまず驚いたのが、教師のクラブ活動への熱が冷めていたことです。令和になって、元号と共にクラブ活動熱はどこかに消え去ったかのようです。というより、クラブ活動至上主義を引っ張っていた一部の狂信的な教師のへの活動が制限されたことをきっかけに、学校からクラブ熱が引いたかのように感じています。それに引きずられてか、生徒や保護者のクラブ活動神聖化も沈静化しています。

最近では教師の労働環境改善のためクラブ活動の自粛を促す声も上がっていましたが、現場ではそれほど大きな声でもありませんでした。声のデカいクラブ活動狂信者が学校にいたからだと思います。また、親や生徒側から「学習へ悪影響」という声はそれほど上がっていなかったように感じています。

でも、あまりにも学力が落ちた子供たちの惨状、彼らが社会に出て振り撒き始めた影響を目の当たりにして、国はゆとり教育を廃止しました。社会や英語の教科書は、ゆとり教育以前より難しくなっています。理科や数学もゆとり教育前に戻っています。この影響はクラブ活動にも及び、行き過ぎた活動を自制する地方自治体が増えてきました。芦屋も活動が厳しいことで有名なクラブの活動日数や時間を明確に制限しました。

その結果、クラブ狂信教師のデカい声が小さくなったのでしょう。この効果は非常に大きいと感じています。学校がクラブから解放されて、以前の「普通」の学校に戻りつつあると思います。親の意識は、依然と変わらず、どこか他人事のようなままに感じていますが・・・。

それに伴う公立校でのテスト難化と「経済格差は学力格差」の推進

一方で、それに代わって顕著になってきたのが、定期テストなどの難化です。学校の授業が難化しているわけではありません。私から見ても、適当なことをしている教師は多いと思います。ところがテストになると、教えてもいない指導要領外の難問を平気で出します。おそらく、進学塾でも最上級の子供たちにしか教えられていないでしょう。普通の子供にそこまで教えられる余裕などどの塾にもないからです。

ということは、塾に行っている優等生しか得点できないということです。真面目に授業を受けて、学校の問題集をしているだけでは通知簿に5がつく得点はできないんですよ。

今度は公立校の教師たちが「経済格差は学力格差」を始めたかのように私は感じています、

義務教育の公立中学で、そんなことアカンやろ

ゆとり教育時代は、学校で教えてないことをテストで出す教師などいませんでした。ゆとり教育をやっていたのと同じ教師がしているとは思えない所業です。人間って変われば変わるもんなんだと、改めて思います。

ゆとり教育時代なら、もしそんな問題がテストで出されたら、「そんなこと教えてもらっていない」と生徒が教師を突き上げていました。クラブ活動で従順な生徒も、教室では従順ではなかったですから。だから、教師は一層クラブ活動に夢中になったのかもしれないと私は思っています。

ところが、最近は「教えられていないことでも出題される。」ことが当たり前になってきています。生徒も親も、「塾に行ってないとできないのは当然ということですか?」と教師に詰め寄った話は聞きません。私なら怒りますけどね。塾なんかを経営していてなんですが、義務教育で教えていない指導要領外の問題をテストに出して調査書をつけるなんてやっていいこととは思えない。ここでも、親の意識は、何か他人事のようなぬるさを感じます。

ところが、クラブ野放しからテスト野放しになっている

「塾に行かなければ人にあらず」というような現在の公立校の状況じゃ、こんな商売をしてはいますが、おかしいと思います。二宮尊徳の銅像を、改めて校門の前に設置しなければいけないと私は思うんです。

学校って、適切な中間管理職が現場を押さえていないから、こんなことになるんだっていつも思うんですよ。教師って、公立では、校長以外管理職はいないんですよ。教頭は管理職ではありません。生徒や親からしたら校長と教頭なんて大した差はないように見えますが、立場や権限は別物なんです。学校で一人だけの管理職の校長と現場の教師の間に、教科主任でも学年主任でもいいから、現場での授業やテストに責任をもって管理監督できる中間管理職を置かないと教育現場が野放しの現状は変わらないと思います。クラブ野放しから、今度はテスト野放しになっています。

子供相手にして結構勝手気ままが許される教師って、クラブであれ、テストであれ、どこかで自己主張して子供にマウンティングしないと気が済まないのがいると思うんです。もちろん、それは弱い部下にパワハラ風を吹かせて得意がる上司がどの企業にもいるのと同じです。文句も言えず、社会経験もなく、「先生がしていることだから正しい。」と思い込んでいる子供相手だと、それがやりやすいですよ。親も子供を人質に取られて、あまり文句を言えない。その上、現場を管理する中間管理職がいないんじゃあ、野放しになって当然です。

定年間際でやっと校長になった知り合いの教師が、若い市役所の課長と同等だって、いつもぼやいていましたよ。私は「そら、お前ら、管理職にふさわしいこと何にもしてない上がり(定年)前の名誉職やんけ。」といつも腹の中で思っていました。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。