Let it be は「なすがままに」でいいのか?/高校1年生では和訳はできても、理解はできない

歌詞紹介

When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me

Speaking words of wisdom, “Let it be”

And in my hour of darkness She is standing right in front of me

Speaking words of wisdom, “Let it be.”

And when the broken hearted people Living in the world agree.

There will be an answer: Let it be

For though they may be parted there is Still a chance that they will see

There will be an answer: Let it be

原形不定詞と分詞構文が分かれば大丈夫ですね!

When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me は中学生でも訳せますね! 自分が困難の中に自分自身を見つけた時、聖母マリアが私にやってくる。

Speaking words of wisdom, “Let it be” で最初のingは 文頭にあるので分詞構文です。英知の言葉を話しながら、「Let it be」となるわけです。ここで問題なのがLet it beの意味なんです。これは高校1年生なら分かると思いますが。letと言う使役動詞が目的語itとbeの原形不定詞があるわけです。ですから、「それが存在するようにさせておく」と言う意味です。このことから、「なすがままに」という訳詩になっているわけです。

ところで、このitとは何でしょう? itで代弁されるのはIでもMary様でもないですから、「トラブルの中にある」と言う状況なわけです。ということは「なすがままに」というよりも、「困っていることがあっても、そのままにしておきなさい。」とマリア様が言っているという意味が近いわけです。

2番はI find myselfが省略されていますが、構造は1番と同じです。「困難な時にあれば、マリア様が私の前に立つ」ということで、後は同じです。

でも、今主流の訳詞では

ところが、作曲者のポール・マッカートニーは、メアリーとは聖母のことではなく、自分の母親のメアリーのことだと言っています。ですから、グループ解散で悩んでいたマッカトニーが、母親の言葉をもとに「そういう状況なら、そうさせておけば」と息子にしてくれたアドバイスだということになっています。

では、And when the broken hearted people Living in the world agreeで、何でin the worldなんて仰々しいことを書くんでしょう?

これは長い文章です。分詞が結構使われています。主語はthe broken hearted people Living in the world までです。破かれた、心を持った人々、世界中に住んでいるです。そいう人々が合意しているとき、There will be an answer: Let it beなんです。

心破れているのは、メンバーや関係者だけです、それとも世界中のファンのことを歌ったのでしょうか? なんで合意したときに、答えがあるんでしょうか? その答えは、次の歌詞にあると私は思います。

次は何が書かれているのか?

For though they may be parted  there is still a chance that they will see とはどういうことなんでしょう。「だから、彼らは分けられているかもしれないが、まだチャンスがあるだろう」で関係代名詞のthatが連なって、「彼らが見る(分かる)チャンス」があるだろうなるわけです。

現代の訳の見解からは、離れ離れになったメンバーたちも、また(新しい音楽に)出会うチャンスがあるだろうなんてことになりますが、そうなんでしょうか? ではなんで、be parted:分けられると受動態になっているんでしょう? 自分たちの意向でバラバラになって解散するんなら people parting themselvesやeach otherでいいはずです。

さらに他の解釈ではbroken hearted peopleから、失恋した人たちは、また新しい恋愛を見つけると捉える人もいるようです。

この歌詞が書かれた年代を考えると・・・

この歌は冷戦最盛期、ベトナム戦争中に書かれました。厭世観からカウンターカルチャー真っ盛りに書かれた歌です。私は、この歌は、東西に分断された世界を歌ったものだと思います。

だから、「世界中に住んでいる心破れた人々」とわざわざin the worldと言っているのです。「離された人々」も抽象的な意味合いではなく、実際にドイツや朝鮮半島で突然国境線が引かれて無理やり引き裂かれた人々とのことではないんでしょうか?

だから、国同士がが合意したときに、そこに答えはあるのです。だから、まだまだ分断されていてもチャンスがあるのです。そのチャンスはこの歌が書かれて20年後にベルリンの壁とソ連の崩壊によって、合意なしになし崩しに訪れました。

あまりに過激になった反戦運動にも、グループ解散の引き金にもなったジョン・レノンが巻き込まれたカウンター・カルチャー系統の自己満足世界にも、政治の場の駆け引きにも、代理戦争で多くの命が失われていることにも、ウンザリしていたマッカトニーの「なるようになるから、ほっとけば? いずれ答えは見つかる。」という厭世観を、マリア様まで引っ張り出してきて宗教色をつけて、失恋からグループの騒動や冷戦までもいろいろ勘繰られるように作った作品ではないかと思うんです。

60年代後半から70年代初頭に、こういう歌が流行ったんです

この当時、こういう抽象的で意味不明な歌詞で、一聴すると高尚に聞こえる歌詞が流行ったんです。私の好きなThe BandというグループのWeightやThe Night They Drove Old Dixie Down も同じような系統の歌です。ですから、色々解釈され話題になる。

この抽象的な歌詞は、恋愛からグループ解散、そして冷戦や政治問題まで勘ぐらせて、多くの人にアピールして売り上げを狙ったマッカトニーのビジネス戦略に我々がまんまと乗せられているというのがオッサンの答えです。だから彼はこの歌について、何も断定的なことは言わないのです。マリアは母親のことだなどと、よけいに選択肢を増やすようなことを言うだけなんです。

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芦屋で500人以上、個別指導20年のベテラン講師が、毎日・全教科、中学生と高校生を指導します。御影高校・神戸高校、関西学院・同志社・神戸大学・大阪大学を目指す特進個別塾です。